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[制度導入60周年]混乱と福音の第1回新人選手選択会議

posted2025/10/24 09:00

 
[制度導入60周年]混乱と福音の第1回新人選手選択会議<Number Web> photograph by KYODO

甲府の自宅で川上哲治監督と握手する巨人1位指名の堀内

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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KYODO

選手の運命を大きく左右するドラフト会議。自由競争から切り替わった当初、球界の人々はこの新制度をどのように捉えていたのか。当事者の言葉とともに初年度の状況を振り返る。

 それは札束と策謀が渦巻く弱肉強食の野球界に公平性と秩序をもたらす、天地がひっくり返るような革命的発案であった。

「ドラフトという制度が始まるとは聞いていましたが、契約金が下がる以外は何が変わるのかわからなかった。ただ、僕は最後まで南海に行くものだと思っていたんです」

 1965年11月17日。第1回ドラフト会議で阪急に1位指名された法政大の長池徳士(あつし)。のちに本塁打王、打点王各3回、“ミスターブレーブス”と讃えられる長池は、史上最初のドラフト1位であり、それに運命を狂わされた第1号の選手でもあった。

「当日は学校で指名を待つなんてしませんでした。朝から京都に『ツタンカーメン展』を観に行ってまして、帰りに駅の売店で夕刊を買ったら、“阪急1位長池”になってる。ひっくり返りました。僕は高校時代に南海の鶴岡一人監督に『大学で4年やってから来い』と言われて法政大学に入れてもらい、南海から5万円のお小遣いも毎月頂戴していた。当時の大卒初任給の2倍ほどの額ですよ。阪急は大学3年生の時に一度だけ西本幸雄監督とスカウトの藤井道夫さんが見に来ただけで、指名するなんて話は聞いたことがなかった」

 ファラオの呪いか、野球の神様の祝福か。時代は大きく変わろうとしていた。

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