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「ヒデ(中田英寿)はそれが彼の生き方」「サンフレッチェは整っていました」“金満だけでない”マンC式に触れた日本人にJはどう見えるか
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田村修一Shuichi Tamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/09/28 11:26
ベルマーレ時代の中田英寿。元同僚で海外指導歴の長い宮澤浩氏が見た日本サッカーの印象とは
「思います。プラットフォームはもの凄く大事で、割合も8-2がいいんじゃないですかねえ。そこで気持ちよく働いているとか、自信を持って働けるとか、環境が整えばパフォーマンスを発揮できるのは、素直にそうかと思います」
――Jのクラブを見て、日本の現状をどう思われますか。
「僕は指導者としては、Jで働いたことがないんです。選手では8シーズン半やりましたが。そのときの経験でいえば、サンフレッチェ広島はそこが凄く整っていたクラブでした。今西和男さんがしっかりやっていたので、雰囲気がキュッと締まっているというか、環境がキッチリ整っているクラブだったなあと。今西さんが作ったプラットフォームはしっかりしていたと思います」
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――そこまでできる人材が、鹿島の鈴木満さんなどもそうでしたが、日本ではまだまだ少ないです。
「アレックス・ファーガソンが監督当時のマンチェスター・ユナイテッドは、スタジアムでチケットを売っている人やスタジアムツアーをガイドする人たちがスーツとネクタイを着用していた。そのスタンダードが高く、それはすべてファーガソンがやっていた。末端の人たちも、クラブに所属しているプライドを持って仕事をしている。そこがしっかりしていることが成績に直結している。組織力というのでしょうか」
――見えない部分、サッカーではない部分の議論が少ないと思います。ご自身の現役当時は、不満があっても言えなかったとかありましたか。
「クラブと契約した瞬間にクラブの存在が大きすぎて、整っているところに自分が行ったとわかる。だから些細な不満は出てこない。僕がムンバイシティで働いていたときは、そこはしっかりしていたので……」
整った組織が生む“プロフェッショナルな態度”
――選手も納得していた。
「納得したのですかねえ……。僕の3年目にスペイン人が来ました。彼はアトレチコ・マドリーのユース育ちで、同じポジションにグラスゴー・レンジャーズから来た選手がいて10番をつけていた。ポジションがかぶっているので、スタメンでは出られずに後半に出てきて活躍する。
僕が彼のIDP担当だったので個人的に話をして、やっぱりスタメンで出たいと、不満があってもやもやしている。チームが後半に落ちてきたときや、ここで1点欲しいときに重要な役割を演じていたけれども、本人はスタメン希望で俺はもっとやれるという不満がある。
でも彼は、その不満をメディアやチームメイトには絶対にぶつけなかった。

