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プロ野球PRESSBACK NUMBER
国も野球も「守りから入れ」! 剛球始球式の海上保安庁・瀬口良夫長官が高校野球に学んだこと…「あのとき恐怖心で登板しなかった後悔が原動力」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKeiji Ishikawa
posted2025/09/25 11:05
海上保安庁の長官室で投球フォームを披露してくれた瀬口長官。今も仕事の原動力になっているという野球からの学びとは?
44年を経て初めてわかった思い
「監督とのやり取りは2人だけの会話だったので、他の選手は誰も知りませんでした。登板を断ったこと、それを悔やむ思いはその後、誰にも言っていなかった……言えなかったんですね。同期はそのやりとりを44年後の記事で初めて知って、驚いたみたいです」
同期の友人からは「8回、9回は瀬口が投げて勝ちたいと誰もが思っていた」「なぜ断ったんだと驚いたけれど、瀬口の優しさが伝わるエピソードだった」という連絡が届いた。神谷元監督は、当時を振り返り「あの時、『行くか?』ではなく『行け』と言うべきだった。瀬口君を悩ませた俺が悪かったなあ」と口にしていたという。
「でも、あの時の後悔は今の仕事の原動力となっています。例えば、海難救助や取締りなど色々な場面で絶対に助けるとか、絶対に犯人を捕まえるとか、絶対に事故や不祥事を起こさせないとか……。仕事のあらゆる場面で絶対に逃げず、責任を通し続けるという強い思いは、あの時の後悔があるからこそなんです」
「船に乗る仕事を」と海上保安庁へ
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瀬口長官は刈谷高を卒業後、「海軍出身だった父の影響で、船に乗る仕事に憧れがあった」と海上保安大学校に進学。広島・呉市で過ごした大学校時代は準硬式野球部で投手を続け、中国地区リーグで何度か優勝を果たした。
任官後、最初に赴任したのは北海道・根室。東西冷戦時代のソ連(現ロシア)と北方四島を挟んで向かい合う緊迫感のある赴任地で、領海警備業務に携わった。
「魚がよく獲れる場所なので、日本の漁船がソ連側が主張している海域に入ってしまうことがよくあるんです。そうするとソ連側の警備隊がやってきて撃ってくる。それを避けるために巡視船が間に入ったり、拿捕されないように色々なことをしたりするのです」
深い霧が垂れ込めたある日のこと。中間線を越えてしまった日本の漁船に対して、ソ連の船が基地から出てきたのがレーダーに映った。このままでは一触即発の事態になってしまう。巡視船が間に入り、新米航海士だった瀬口長官は甲板に立って拡声器を持ち、漁船に対して日本側の海域に戻るよう必死に呼びかけた。

