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プロ野球PRESSBACK NUMBER
国も野球も「守りから入れ」! 剛球始球式の海上保安庁・瀬口良夫長官が高校野球に学んだこと…「あのとき恐怖心で登板しなかった後悔が原動力」
posted2025/09/25 11:05
海上保安庁の長官室で投球フォームを披露してくれた瀬口長官。今も仕事の原動力になっているという野球からの学びとは?
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Keiji Ishikawa
話題を呼んだ東京ドームでの始球式の際、瀬口長官を訪ねてきた人物がいた。名古屋電気高(現・愛工大名電)で工藤公康投手とバッテリーを組んでいた、山本幸二さんだ。瀬口長官と同い年の捕手は1982年にドラフト2位で巨人入り。現役引退後はブルペン捕手などを務めた後、現在は球団職員としてチームを支えている。
「高校3年生の夏以来、44年ぶりですかね。最後の試合のことを覚えていらっしゃって、その時の話をしたり『僕が(始球式を)受けてあげようか』なんて冗談を言ったりして。非常に懐かしかったですね」
工藤公康と対戦した高校最後の夏
高校3年の夏、瀬口長官がエースナンバーを背負っていた刈谷高は、愛知大会の準決勝で名古屋電気高と対戦している。一部メディアでは瀬口長官がその試合で「工藤公康と投げ合った」と紹介されていたが、正確に言えば2人は“投げ合って”はいない。
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先発したのは二枚看板を背負っていた3年生の左腕。7回に刈谷高が一時リードした時点で神谷良治監督(当時)に「瀬口、行くか?」と登板を打診されたが、エースは心に湧き上がったわずかな恐怖心から断っていた。刈谷高はその後逆転を許し、3−4と惜敗。涙と共に、最後の夏が終わった。
今年1月、海上保安庁長官の横顔を特集した読売新聞の記事の中で、当時のことが取り上げられた。「残ったのは悔いだけでした。自分が投げたら打たれるんじゃないかという恐怖も内心ありました。そんな根性のなさが心底嫌になりました」。そんなコメントが載った。直後、瀬口長官の携帯には当時のチームメートから次々と連絡が入った。

