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大先輩・長嶋茂雄も届かず「東京六大学で立教大59年ぶり三冠王」山形球道とは何者? 高校は東京→沖縄に野球留学「最初は言葉も全く分からず…」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph bySt. Paul's University Baseball Club

posted2025/09/19 11:02

大先輩・長嶋茂雄も届かず「東京六大学で立教大59年ぶり三冠王」山形球道とは何者? 高校は東京→沖縄に野球留学「最初は言葉も全く分からず…」<Number Web> photograph by St. Paul's University Baseball Club

六大学春季リーグにて、.444、5本塁打、17打点で三冠王を獲得した立教大の山形球道。東京から沖縄の高校に留学したわけとは?(写真:立教大学野球部提供)

最初は言葉も全く分からなかった

「寮生活もとても厳しく、言葉も最初は意味が全く分かりませんでした。あとは気候ですね。沖縄は日差しが強すぎて痛いんです(笑)。質的には(立教大のグラウンドがある)埼玉の方が暑いと思うんですけど、沖縄は日焼けすると真っ黒になり、お風呂に入る時にもの凄く痛かったです。スコールが来る時も匂いで分かるようになりました」

 新しい環境にも慣れはじめ、新チームへと移行した1年夏。離断性骨軟骨炎の影響で禁止されていた投球動作も解禁となり、これからといった矢先に腰椎分離症を発症。復帰は冬までずれ込んだ。

 興南は一学年30人ほどの部員がおり、まず指導者に存在を認識してもらうことが重要になる。ただ、山形はケガの影響もあり、アピールどころか、リハビリの日々が続く。メンバーが練習する脇で草むしりを行うこともあった。

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「秋の大会はおろか、1年生大会も出ることができなくて、本格的に野球ができはじめたのは1年の12月からでした。なかなかアピールすることはできませんでしたね」

野球だけでなく勉強でも進学に備えた

 ただ、ここで腐らなかった。野球だけではなく、勉学にも熱量を持って取り組んだ。興南に入学後、立教大に指定校推薦枠があることを知ったからだ。どんなに練習で疲れていようと、必ず机に向かい、教科書を広げる習慣をつけた。

 立教大は父・純一さんの母校。野球部に在籍し、学生コーチとしてチームを支えた。「球道」の名は、その父が「球けがれなく道けわし」で知られる水島新司さんの野球漫画『球道くん』からつけたものだ。2017年春に立大が日本一を達成した際には、2人で優勝祝賀会に参加した。

「立教の指定校は評定をどれぐらい取ればいいとか、英検2級が必要だということをしっかり確認して、最初の定期テストからちゃんと成績が取れるように勉強しました。高3で英検2級を取得して、評定も最終的には(満点の)オール5ありました」

 ただ、最大の目標は、興南でレギュラーになり、甲子園に出ること。そのためには、沖縄に初めて深紅の大優勝旗をもたらした名将の我喜屋優監督に、何としてでもその存在と実力を認めてもらう必要があった。

つづく

#2に続く
「なんであんなに足を上げて打てるの?」立教大の三冠王・山形球道は偉業バネにプロ目指す「武器は沖縄・興南高で培った観察力」「理想は近藤健介さん」

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