- #1
- #2
大学野球PRESSBACK NUMBER
大先輩・長嶋茂雄も届かず「東京六大学で立教大59年ぶり三冠王」山形球道とは何者? 高校は東京→沖縄に野球留学「最初は言葉も全く分からず…」
text by

内田勝治Katsuharu Uchida
photograph bySt. Paul's University Baseball Club
posted2025/09/19 11:02
六大学春季リーグにて、.444、5本塁打、17打点で三冠王を獲得した立教大の山形球道。東京から沖縄の高校に留学したわけとは?(写真:立教大学野球部提供)
「お会いしたことはありませんが、小さい頃から知っている方。長嶋さんが生きている間に優勝と三冠王を報告したかったという思いはあります」
東京から沖縄に野球留学した山形
山形は東京生まれ。中学を卒業後に興南へ野球留学した。近年は早大左腕の宮城誇南(3年、浦和学院)のように、沖縄から本島の野球強豪校に進学するケースが目立つが、山形は逆に、東京から沖縄へと渡った。なぜ関東ではなく、琉球の地で多感な高校3年間を過ごす選択を下したのだろうか。
「自分は一人っ子なのですが、高校では寮に入りたいとずっと思っていました。中学2年生の時、夏の甲子園をテレビで観ている時に、興南の宮城大弥さん(オリックス)が、1年生にもかかわらず、智弁和歌山を相手に力投する姿に『凄いな』と感じるものがあって、そこから興南に興味を持ちました」
ADVERTISEMENT
興南は2010年、エース左腕の島袋洋奨(元ソフトバンク、現興南コーチ)や、主将の我如古盛次(立教大―東京ガス)、一学年下の大城滉二(立教大―オリックス)らを擁して史上6校目の春夏連覇を達成。我如古が夏の甲子園優勝後のインタビューで発した「沖縄県民みんなで勝ち取った優勝です」の名台詞は、沖縄の誇りとして今もなお語り継がれている。
山形も「KONAN」のユニホームに憧れ、進学を強く希望した一人だ。所属した中学硬式チームの大田リトルシニア(東京都大田区)では投手も務めるなど、二刀流で活躍。過去にチームから興南へ進学した選手はいなかったが、自ら学校側に問い合わせ、何とか一般推薦で入学へとこぎ着けた。
負傷で投手を断念して打者一本に
ただ、中3冬に右肘の離断性骨軟骨炎を発症したこともあり、高校では投手を続けることを断念。この決断がなければ、のちの三冠王は生まれなかったかもしれない。
「自分の中ではそこで投手は諦めました。打つことの方が自信はあったので、そこからバッティング一本でいこうかなと決めました」
こうして15歳の春。山形は単身で沖縄へ渡り、打撃技術や人間性を磨いていくことになる。ただ、当初は初めての寮生活に加え、高温多湿の気候、方言や食生活など文化の違いにも悩まされた。

