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甲子園の風BACK NUMBER
「5点差、奥川恭伸なら十分」のはずが甲子園で悲劇の逆転サヨナラ満塁被弾…星稜サウスポーの“忘れられた事実”「何とかしのいだ感じです」
posted2025/09/03 11:01
星稜高校時代、奥川恭伸の2番手投手だった寺沢孝多。逆転サヨナラ満塁弾を浴びるなどの甲子園を経て、今は何をしているのか
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Hideki Sugiyama
大量リード…登板機会はないだろうと
歴史を刻んだ試合では、敗者もまた人々の記憶に残る。そして、敗れた後の歩みも関心を集める。
2018年8月12日。100回目を迎えた夏の甲子園2回戦で、歴史に残る劇的なシーンは訪れた。星稜(石川)と済美(愛媛)の一戦は延長12回でも決着がつかず、この年のセンバツから導入されたタイブレークに突入する。
先攻の星稜は2点を奪い、その裏のマウンドには6番手の寺沢孝多が上がった。当時2年生だった寺沢は9回から登板し、12回までの4イニングを無失点に抑える好投を見せていた。ただ、甲子園での初登板は全くの想定外だった。
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「自分の出番が来るとは思っていませんでした。大量リードの試合展開でしたし、同級生の奥川の他にも先輩に良い投手が何人もいましたから。ベンチに入れてもらっていたので甲子園で投げてみたいと思っていましたが、登板機会はないだろうという心境でした」
当時のチームは、後にヤクルトからドラフト1位で指名される2年生の奥川恭伸(現ヤクルト)がエースだった。済美戦でも先発し、3回まで6-1とリードを奪っていた。5点差あれば、奥川には十分。油断はなかったが、チーム内にはゆとりが生まれていた。
ところが、最初の想定外が訪れる。
奥川が4回に足をつり、その回を投げ終えて降板した。星稜は継投で緊急事態に対応し、8回表終了時点で7-1と安全圏に入っていた。残り2イニング。4番手でバトンを受けたのは、試合を締める役割を任された竹谷理央だった。
奥川の緊急降板以外にもアクシデントが
実は、マウンドに立つ前からアクシデントが起きていた。
竹谷はブルペン投球時に足をつっていたという。寺沢は「1試合で投手が2人も足をつるのは経験がありません」と振り返る。本来の投球ができなかった竹谷は打者7人に対して4安打2死球を与え、わずか1アウトしか取れずに降板。続く寺西成騎も済美の勢いを止められず、この回に星稜は一挙8点を失って逆転された。
形勢を逆転され、星稜は9回表の攻撃に入る。1アウトから3連打で1点を返し、寺西の打順を迎える。勝負をかける星稜は代打を起用。この時点で、ベンチに残っていた投手は寺沢1人しかいない。同点に追いつけば、予想していなかった甲子園での登板機会がめぐってくる。
代打は凡退したものの、続く打者の適時打で星稜は追いつき、9回裏のマウンドには寺沢が立った。当時を回想する。

