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「公立と言われても…」甲子園ベスト4・県岐阜商、快進撃の舞台ウラ…“考える力の体現者” 左手ハンディの横山温大は「創意工夫がスゴイ」
posted2025/09/03 11:00
準々決勝で延長タイブレークの末に優勝候補本命の横浜を破った県岐阜商のナイン。公立校の快進撃はいかにして起きたのか…
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
発売中のNumber1126号に掲載の[16年ぶりのベスト4]県岐阜商「公立ではなく伝統校として」より内容を一部抜粋してお届けします。
「親子三代」で県岐商から甲子園出場
強豪私学を次々となぎ倒す痛快劇。公立校、唯一のベスト4である。世間はその現象を旋風と呼び、物語性に浸る。
チームを率いる藤井潤作は「公立校」をクローズアップされるたびに、言い訳を遮断するようにこう言っていたものだ。
「時代の流れとともに不利な部分は正直、感じますが、勝負においてそういったことは関係ないと思います」
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藤井に同調しながらも「むしろ」と付け加えるのは、部長の上畑将である。
「岐阜県の子たちは『県岐商』を目指して入学してきて、胸を張って戦っています。公立と言われても……」
県立岐阜商業。
岐阜では「県岐商」と親しまれ、戦前に4度の日本一、今年の夏を含め61回の甲子園出場を誇る。全国の強豪と比肩してもその実績は屈指だ。
だからこそ、令和の時代を生きる今の選手たちにとっても「名門」の意識が強い。
4番バッターの坂口路歩の祖父・清貴は、1969年のセンバツに出場しベスト8。父の輝光がいた'99年夏も甲子園に出場している。「親子3代」で血を繋いでいくことは、彼からすれば当然なのだ。
「物心がついた時から、自分は『県岐商に行くもんだ』と育ってきて。自分はおじいちゃんとお父さんを『絶対に超えよう』と、日本一になるために頑張ってきました」
藤井が副部長だった2009年夏にベスト4となったあたりまでの県岐商は、まだ岐阜をリードできる存在だった。一方、彼が「時代の流れとともに」と言っていたのもちょうどこの時期にあたり、私立の大垣日大が覇権を握る年も多くなっていく。
母校の再建を託された鍛治舎巧
この勢力図を再び県岐商へと呼び戻したのが、前監督の鍛治舎巧である。
坂口の祖父の1学年上でエースだった鍛治舎は、熊本・秀岳館を指揮した'16年春から3季連続で甲子園ベスト4の実績を買われ、'18年から母校の再建を託された。
鍛治舎はパワーとスピードを重点的に鍛え上げるという土台を形成し、'20年に県岐商5年ぶりの甲子園となるセンバツ出場を果たす。コロナ禍で大会は中止となったが、翌年以降も3度の全国へと導いた。

