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「ピッチャーをやりたい」不登校球児を変えた元プロ監督…廃部から4年、函館の田舎町から“部員4人”と目指す甲子園「吉田監督は怒鳴ったりしない」
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米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2025/08/27 11:22
部員4人と森高校野球部を復活させた吉田雄人監督(30歳)
吉田には“恩師”と呼ぶ人が3人いる。そのうち2人は、北照高監督の上林と、高校時代のトレーナーだった大前隆司だ。
卒業後もことあるごとに相談に乗ってもらっていた大前に言われた言葉が、胸に刺さった。
「『ただ強豪校に(指導者として)入るんじゃなく、吉田には唯一無二の経験があるんだから、それを活かして、新しい高校野球の価値みたいなものを作ってほしい』と言われて、それがすごく刺さったんです。
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過疎化が進んでいるこの地域で、高校野球が軸になって、地域活性化に繋げられたり、地元の人たちに元気を届けられるようなチームを作れたら、すごく価値があるんじゃないかなと思って。『やろう』と決心しました」
オリックスを戦力外になってから「ずっとすねていた」という吉田に、スイッチが入った。
そこからの行動力には恐れ入る。まず計画書を作成し、森町の岡嶋康輔町長に会いに行った。
「面白いね」と好感触は得たが、「森町として子供がどんどん減っている中で、かなり難しい」という現実も突きつけられた。
それでも実現に向けて動くため、吉田は24年4月に森町の“地域おこし協力隊”隊員に就任。都市部から過疎化が進む地域に移住した協力隊員が、自治体の委嘱を受けて地域活性化のため活動するという制度だ。吉田は野球アカデミーを行ったり、地元の野球少年団の指導に赴きながら周知に努め、森高野球部の復活に向け奔走した。
新入部員はわずか4人
雑草が生い茂っていたグラウンドは、隣町の企業の協力により整備され、内野部分には大量の黒土が入り生まれ変わった。
そして今年春、森高野球部は町外から4人の新入部員を迎えた。動き出してから1年あまりで野球部を復活させたことは快挙と言っていい。だが吉田は、悔やむ。
「1年目から単独チームで出られるようにしたかったので悔しいです。やっぱり彼ら4人には今、我慢させている部分もおおいにあるので」
4人ではできる練習が限られる。練習試合をやろうとしても、相手チームから選手を借りたり、隣町の八雲高と連合チームを組まなければならないため頻繁にはできない。4人が実戦に飢えていることは確かだ。
だが選手たちは、4人だからこそできることや、今の環境に価値を見出している。



