甲子園の風BACK NUMBER
「ピッチャーをやりたい」不登校球児を変えた元プロ監督…廃部から4年、函館の田舎町から“部員4人”と目指す甲子園「吉田監督は怒鳴ったりしない」
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米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2025/08/27 11:22
部員4人と森高校野球部を復活させた吉田雄人監督(30歳)
ショートの菅井裕哉は中学時代、函館ベースボールクラブで全国優勝を果たした。膝の怪我もあり全国大会では途中出場だったが、強豪校に行く力はあった。だが、「強豪校に行っても試合に出られなかったら、野球楽しくないなと思って。やるなら試合に出たいので」と森高を選んだ。
キャッチャーの渡部大河も中学時代は強豪チームで鍛えられ、特待生の誘いもあったが、森高に来た。
「練習会の時に、吉田監督は指導がうまいだけじゃなく、練習の雰囲気作りがめちゃくちゃ上手で、すごく面白かった。監督の、人への接し方もすごくよくて。ここから甲子園に行ったらめちゃくちゃいいなと思って、決めました。4人は思ったより少なかったけど、人数が少ない分、ノックを受けられる数や打てる本数が多い。有意義に練習できています」
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渡部は練習中、一番大きな声を出してリーダーシップを発揮し、吉田から貪欲に吸収しようとしている。
キャプテンに立候補したのは、セカンドの三上陽斗だ。
「人間として成長できるんじゃないかと思って。僕はすぐにネガティブ思考になっちゃうんですけど、キャプテンはチームを盛り上げる存在だと思うので、ちょっとずつポジティブ思考に変えていけるんじゃないかと思って立候補しました」
「理由がいいなと思った」と吉田は言う。
「一番しっかりしていて、人にものを言える渡部にやらせたら簡単なんですけど、キャプテンをやることで変わる経験を、僕自身も(高校時代に)しているので、三上にもそうなってもらいたくて。まだ全然引っ張れないし、焦りもあると思うけど、キャプテンを変えるつもりはありません。その責任を背負ったまま成長していってほしい」
「ゼロからの野球部、先輩がいないじゃないですか」
入学後、外野手からピッチャーに転向したのは上出蒼空だ。同じ札幌の中学だった三上に誘われて森高に来た。上出は中学の頃、不登校になっていた。
「不安だらけでした。中学では野球を途中で辞めて不完全燃焼だったので、高校で野球をやりたいなと思って探していたんですけど、札幌市内では、自分の学力と内申点で行けて、自分の力をちゃんと伸ばせるような野球部があんまりなくて……。
そんな時に三上君から森高校の話を聞きました。元プロ野球選手に教えてもらえるし、ここなら力も伸ばせるんじゃないかなと思った。僕は上下関係でちょっと嫌な思い出があるんですけど、ゼロからの野球部なので、先輩がいないじゃないですか。それも決め手になりました」
中学の先生に森高に問い合わせてもらうと、「ぜひ会わせてください」と吉田が脇澤潤一教頭とともに面談を行い、丁寧に説明した。
札幌から通うのは難しいため寮生活になる。両親には不安もあったに違いないが、上出が反対されることはなかった。
「中3の時は何にもやらずに部屋に引きこもっていて、親もたぶん悲しんでいたと思います。自分が『ここ行きたい』と言った時に、快く『頑張っておいで』と言ってくれました」





