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「社会なめてました」23歳で戦力外通告…元オリックス吉田雄人が語る、野球界を離れて痛感した金銭感覚のズレ「報ステの映像制作→今は部員4人の野球部監督」
posted2025/08/27 11:21
2017年4月1日楽天戦、9回裏に代走として一軍初出場するオリックス吉田雄人(当時21歳)
text by

米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Sankei Shimbun
5年目で放った念願のプロ初ヒット。そのヒットを放ったイチローモデルのバットは今どこに? そう聞くと、吉田雄人は、「どっか行ったっすね」とあっけらかんと言った。
「たぶんそのまま使い続けていたと思うんで、どこかで折れたりしたんじゃないかと。今思えば、置いとけばよかったな。バットは、あの型の手付かずのやつを1本だけ残しています。自分のバットで残っているのはそれだけ。
自分の野球道具はほとんど残っていません。スパイクも、ユニフォームもない。辞める時に、学生時代の同級生とか、オリックスでグラウンドキーパーのバイトをしてくれていた若い子たちに全部あげちゃいました。もうね、野球、嫌だったんですよ。関わりたくなかった。もう心が折れていましたね」
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もう野球には関わりたくない。そんな境地にいた吉田が、廃部になっていた野球部を復活させるまでの6年半に、いったい何があったのか。
引退した吉田がなぜ京セラドームに?
引退後、吉田に再会したのは2020年3月だった。オリックスのオープン戦が行われていた京セラドーム大阪で、選手の囲み取材が始まるのを待っていると、数人のテレビクルーがやってくるのが何となく目に入った。そのクルーの中に見覚えのある顔があって、思わず二度見した。吉田だった。
吉田はちょっと気まずそうに「へへへ」と肩をすくめながら、「今、映像制作会社で働いてるんです」と言った。
“報道ステーション”のスポーツコーナーに使用するニュース映像を制作していた。
それから22年シーズンまで、オリックス取材の現場でたびたび会ったが、その仕事に至った経緯を詳しく聞いたことがなかったので、今回の森高取材で改めて聞いた。
