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「社会なめてました」23歳で戦力外通告…元オリックス吉田雄人が語る、野球界を離れて痛感した金銭感覚のズレ「報ステの映像制作→今は部員4人の野球部監督」
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米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph bySankei Shimbun
posted2025/08/27 11:21
2017年4月1日楽天戦、9回裏に代走として一軍初出場するオリックス吉田雄人(当時21歳)
「社会なめてましたね。引退後、まず『社会ってこんなに厳しいんだな』と痛感させられました」
最初は整骨院で働いたが、そのハードさや、給料のギャップに驚いたという。
「自分は多くはなかったですけど、それでもプロでは10代の頃から何百万という年俸をもらって、一般社会の同い年と比べたら若干金銭感覚もずれていたと思います。『こんなに働いてるのに、これだけの給料しか……』という思いがありました」
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2019年12月に結婚式を挙げた際、ウェディングムービーを撮ってもらったことがきっかけで映像に興味を持ち、映像制作会社の採用試験を受けた。その会社がたまたまオリックスと阪神のニュース映像を作っている会社だった。
「面接の時に知ったんですけど、野球の知識が活かせるな、ぐらいにしか思っていなくて。球場に行って直接取材することを後から知って、『マジで? 気まずいな』という気持ちはすごくありました。でもその前の職場を辞めてから1カ月以上経っていたので、早く職につかないと、という焦りもあって」
取材者として見た古巣のリーグ優勝
取材デビューは20年2月のキャンプ初日。引退後も親しくしていたT-岡田にだけは事情を話していたが、それ以外の選手はみんな、「お前何してんの?」と目を丸くした。
だがその年はコロナ禍の影響で、取材はオンラインや代表取材など限定的なものになったため、選手と対面で取材する機会はほぼなかった。
その翌年の21年、オリックスは快進撃を見せ、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。
吉田はいつも球場ではきちんとジャケットを着込み、スタンドの上のほうに1人でポツンと座って練習を見ていた。自分がいたチームが優勝へと向かう姿を、どんな思いで見ていたのだろうか。
「自分がいた時に弱くて、僕が記者2年目の時に中嶋聡監督に代わり、強くなっていった。一緒にやっていた人たちが活躍しているのを見るのは単純に嬉しさはありました。Tさんたちが優勝して、心から喜んでいる姿を見て、本当に報われたんだな、おめでとうございますという気持ちでした。
けど、一緒にファームでやっていた人たちがああいう舞台で活躍している姿は、カッコいいなという思いももちろんあるんですけど、なんかこう、悔しさだったり、羨ましさだったり……。悔しさではないかな、羨ましさですかね。そういう複雑な感情はありましたね。心から100%、祝福できない部分はありました」


