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23歳で戦力外通告…“北のイチロー”と期待された元オリックス吉田雄人30歳のいま「函館の田舎町で“部員4人”の野球部監督に」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2025/08/27 11:20

23歳で戦力外通告…“北のイチロー”と期待された元オリックス吉田雄人30歳のいま「函館の田舎町で“部員4人”の野球部監督に」<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

北海道・森高校野球部を率いる吉田雄人監督(30歳)。2014年からオリックスで5年間プレーした

 チーム事情に翻弄された面もある。プロ3年目の2016年にはショートに挑戦した。その年1月、正遊撃手だった安達了一が潰瘍性大腸炎と診断されて入院した。その後、安達は復帰を果たすのだが、当初は復帰できるのかどうか危ぶまれていたため、手薄になった内野を埋めるため吉田に白羽の矢が立った。

「福良(淳一)さん(当時一軍監督)や佐竹(学)さん(当時一軍外野守備走塁コーチ)の親心だったと思うんです。気にかけてくれていたので、出場機会が少しでも増えれば、と。でも僕に能力がなかった(苦笑)」

 プロの世界で外野から経験のない内野に転向するのは至難の業だ。毎日長時間の特守を受け、持ち前の身体能力と練習量で“捕る”“投げる”に関しては早々にものにしたが、状況判断の習得に苦労した。この年、二軍では投手、捕手、一塁以外の全ポジションで出場したが、この内野挑戦は1年で終わった。

憧れのイチローモデルのバット

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 その年の秋のフェニックス・リーグからはバットを変えた。それまでは、スラリとしたシルエットの“イチローモデル”を使っていた。

「高3の日本代表の時に木製バットが支給されたんです。各自2本ずつ選んでいいよと言われて、迷わずイチローモデルを選びました。振った感触とかじゃなく、『イチローモデルだから、俺に合うに決まってる』って(笑)」

 だが16年のフェニックス・リーグで佐竹コーチに勧められ、グリップの太いタイカップ型のバットを使用するようになった。

 当時の田口壮二軍監督は、「イチローモデルのあの細いバットは、コントロールするのがめちゃくちゃ難しいんですよ。(タイカップのバットは)下に重さがあるのでバランスがよく、操作しやすいんです」と話していた。

 そのバットが合ったのか、翌17年のキャンプ、オープン戦で吉田は結果を残し、4年目で初めて開幕一軍入りを掴んだ。

 一軍初出場は、4月1日の楽天戦9回裏。小谷野栄一の代走としての出場だった。だがその後、一度も打席に立たないまま二軍行き。当時は、調子のいい選手を昇格させたら即一軍で起用する中嶋聡前監督のような時代ではなかった。

 その後再昇格し、この年、8度打席を与えられたが、安打は出なかった。

【次ページ】 プロ5年目、最初で最後のヒット

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