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23歳で戦力外通告…“北のイチロー”と期待された元オリックス吉田雄人30歳のいま「函館の田舎町で“部員4人”の野球部監督に」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2025/08/27 11:20

23歳で戦力外通告…“北のイチロー”と期待された元オリックス吉田雄人30歳のいま「函館の田舎町で“部員4人”の野球部監督に」<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

北海道・森高校野球部を率いる吉田雄人監督(30歳)。2014年からオリックスで5年間プレーした

 森町出身の吉田は、森中学を卒業後、強豪・北照高に進学し、2年春、3年春、夏の甲子園に出場。3年時には森友哉や若月健矢、松井裕樹らと共に高校日本代表に選ばれ、ワールドカップでは1番打者として高い出塁率を残した。

 その年、オリックスにドラフト5位で指名された。

 背番号は、密かに「52」番を狙っていた。吉田はイチローさんを尊敬してやまない。高校時代、俊足巧打の外野手として注目され「北のイチロー」の異名がついた時は「ついに来た!」とガッツポーズした。

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 そのイチローさんの「51」は恐れ多いため、「52」を密かに狙っていたのだが、吉田に与えられたのは「53」。惜しい!と心の中で叫んだ。

 入団会見では、「オリックスにいたイチロー選手のような、野球の技術も、人としても素晴らしい人間になっていきたい」と背筋を伸ばした。

 だが、プロの世界で安打を打つことの難しさを思い知らされることになる。同学年の選手たちが次々一軍デビューを果たす中、一軍出場がないまま3年間が過ぎた。

「僕、全部言うこと聞いてた」

 吉田は練習の虫だった。二軍の試合の後も必ず残って練習し、グラウンドをあとにするのはいつも一番最後だった。

 素直で愛嬌があり、先輩やコーチにかわいがられたが、素直さはプロ野球選手としては仇となることがある。指導されたことをすべて真面目に取り入れようとするうちに、自分の打撃を見失った。

「僕、全部言うこと聞いてた」と苦笑する。

 指導者となった今、当時の自身をこう分析する。

「そこも含めてセンスだと思うんです。僕だけじゃなく、みんな大なり小なり(監督やコーチに)言われていたと思う。その中でも、ブレない軸があるとか、チョイスがうまいとか。そこがセンスであり、能力。それが自分にはなかった。だから、言われなきゃよかったなとは思わない。でも、もっと自分を信じればよかったなとは思います」

【次ページ】 内野手に抜擢も「僕に能力がなかった」

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