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「おれが荒木(大輔)さんを打つ!」“池田高と水野雄仁の時代”とは何だったのか…甲子園連覇の栄光と蹉跌「だって、一度も負けたことなかったから」
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赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2025/08/28 11:04
「阿波の金太郎」と称された池田高のエースで主砲・水野雄仁。82年夏の甲子園で
あのころを「池田の時代」と呼ぶにはあまりに短い。名監督・蔦文也の下、「やまびこ打線」と謳われた圧倒的破壊力、「阿波の金太郎」と異名を取った水野の大活躍で、池田は疾風のように灼熱の甲子園を駆け抜けた。
それまで、甲子園の中心といえば、一世を風靡した投手、荒木大輔を擁する早稲田実業だった。その早実から池田が主役の座を奪い取ったのが82年夏の準々決勝である。
おれが荒木さんを打って畠山さんを男にする
早実と対戦することが決まったとき、池田の選手たちは端から負けを覚悟していた。2年生だった江上は、3年生のエースで主砲、のちにプロ入りする畠山準に、試合の前日、こう言われたことを覚えている。
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「荷物片づけとけよ。明日、帰るんだから」
どこか弛緩した雰囲気の中、江上と同じ2年生の水野は、かえって奮い立ったという。早実に勝てるわけがないと、口では冗談めかして言っている畠山も、内心では誰より勝ちたいと燃えていたはずだったからだ。
「おれ、畠山さんに憧れて池田に入ったんだよ。個人的にも可愛がってもらって、ずっと一緒にいるような間柄だったから」
畠山は1年生のころから、「5回甲子園に行ける逸材」と四国では言われていた。が、実際に行けたのはこの82年の1回だけ。それに引き換え、荒木は現実に5回出場し、見た目にも都会的でカッコよく、甲子園に集まる若い女性の人気も高い。そんな東京のスターに対する一地方の球児の敵愾心と、先輩を思いやる後輩ならではの心情が、水野の中で入り交じり、熱くたぎっていた。
「絶対に勝つつもりだった。おれが荒木さんを打って、畠山さんを男にするんだって」
この大会、水野は主戦投手を畠山に譲り、守備位置はレフト、打順は5番だった。徳島県予選では4番を打ったが、2本塁打だけで11打数2安打。「一発しか狙わんようなヤツはダメだ!」と蔦に一喝され、甲子園で5番に降格させられたのである。水野が笑う。
「バカヤロー! と思ったけどね」

