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甲子園の風BACK NUMBER
横浜高・松坂大輔と「奪三振ゼロでも13回まで投げ合えた」のちにヤクルトで最多勝・館山昌平の原点「“怪物”がいなくてもチャンスはある」
posted2025/08/28 11:02
現在は社会人野球マルハン北日本GIVERSの監督として新出発している館山
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
NumberWeb
1998年、“怪物”松坂大輔のいる横浜高校がセンバツ優勝を果たしてから約1カ月。春季関東大会決勝は、またしても横浜対日大藤沢という同じカードとなった。
松坂の圧倒的な遠投
5月19日、埼玉県営大宮公園野球場。松坂と館山昌平の両エースがマウンドにのぼることになる。館山はウォーミングアップでの遠投が記憶に強く残っているという。
「ちょっと話をしながらお互いにキャッチボールを始めていって、どっちが遠く投げるんだみたいな雰囲気になりました。なんとなく意識しながらやっていって、距離がどんどん延びていくなかで自分は先に限界が来て、向こうはまだ全然大丈夫で、圧倒的で。そのことが思い出としてはありますね」
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館山はセンバツで対戦した近江の木谷寿巳、豊田西の松下克也の投球を参考にして、持ち味とするシュート、ストレートなどに磨きを掛けていた。大雑把に言えば力の松坂と、技の館山の投げ合いは、スコアボードにゼロを並べていく。7カ月前の最初の対戦ではノックアウトされた強力打線に、館山は粘りの投球でホームベースを踏ませない。
延長12回が終わっても0-0。スタンドも両エースの投げ合いに釘付けになっていた。しかし延長13回表、ランナー1、3塁でバッター松坂をセカンドゴロに仕留めたものの、ゲッツー崩れでついに均衡が破れた。その裏を松坂に抑えられて、無念のゲームセットとなった。
奪三振ゼロでも抑えられる
松坂の被安打2、19奪三振に対し、館山は被安打9、奪三振はゼロだった。
「そう、三振を取れなかったんですよね。でも三振を取れなくてもアウトは取れるんだということは自分にとって大きかった。シュートをしっかり投げることが自分の生きる道なんだなって、イメージできたところもあったと思います。大輔は常時145~148kmくらいのボールをビュンビュン投げていて、ウチのチームもなかなか当てられなかった」

