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「背番号11」ドラ1左腕が21歳で戦力外…元ヤクルト「アキラ」伊藤彰のいま「全てを失った男として」大学入学→“いつか神宮へ”第二の人生
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2025/08/12 11:06
ヤクルトにドラフト1位で入団した「アキラ」こと伊藤さん。現在は山梨学院大のコーチをつとめる
「人生の全てを失った男として」
進路に悩んでいた伊藤さんの道を照らしてくれたのが、ヤクルト本社の幹部から伝え聞いたOBの阿井英二郎さんの存在だった。現役引退後に教員免許を取得して、当時はつくば秀英高校の野球部監督を務めていた。
「阿井さんとも直接お会いして、お話を聞かせてもらいました。当時は今より規定が厳しく、アマチュア野球の指導者になるのにハードルが高かったですが、そういう道があるんだと光が差す思いで、そこから新たな目標になっていきました」
阿井さんと同じ道を志し、母校の系列である山梨学院大学の社会人入試を受験。当時提出した志望書にはこんな言葉が並んでいる。
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〈ヤクルト入団直後、高校時代からの肩痛が再発し、アメリカでの手術、それに続く2年間のリハビリの甲斐なく、昨年マウンドに上がった時には過去の球威は見る影もない状態でした。そして待っていた自由契約。私は悩みました。苦しみました。誰にもぶつける事の出来ない不甲斐なさと憤りに、悶々とした日々を送りました。(略)一度、人生の全てを失った男として、命懸けで勉強します〉
かつての「ドラ1」が「1人の学生」に
かつての「ドラ1左腕」は22歳で山梨学院大学法学部に入学。高校時代は2度甲子園に出場し地元で熱い眼差しを浴びたエースも、今や多くの学生の中の1人だった。
「二十代前半の心の内としては、その現実を前に悔しい思いがなかったと言えば嘘になります。でも、そんなことを言っている場合じゃない。戦力外になった情けなさ、歯痒い気持ちを全てぶつけようと必死でした。大学ではどんな授業も一番前に座ってしっかりノートをとる。それだけはずっと貫いていました」
教員免許を取得し卒業後の2005年から山梨学院大野球部のコーチに就任。そこから現在まで20年にわたって指導を続けている。監督を務めた2014年には、春のリーグ戦で初優勝し、全日本大学選手権に初出場。東京ドームでの初戦で敗れたため神宮球場で指揮を執ることは叶わなかったが、開会式後に選手たちと観客席からヤクルトの試合を見ることができた。
「色々な縁の巡り合わせを感じますね。選手と一緒にスタンドから見たナイトゲームは忘れられない光景でした。指導者として神宮で戦うというのは、今後の“宿題”ですかね」


