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野村克也監督が指名のドラ1左腕「アキラと呼ばれた男」1年目で手術→21歳で戦力外…“消えた天才”の壮絶人生「ヤクルトには感謝してもしきれない」
posted2025/08/12 11:04
ドラフト1位でヤクルトに入団したアキラの背番号は「11」。荒木大輔から引き継いだものだった
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
KYODO
故・野村克也監督時代のヤクルトスワローズに、高校ナンバーワン左腕の期待と共に入団したドラフト1位投手がいた。登録名は「アキラ」。わずか4年でプロの世界を去った左腕の野球人生と、その後の歩みはどんなものだったのか。現在は山梨学院大学の硬式野球部コーチをつとめる伊藤彰さんにインタビューした。〈全3回の2回目/つづきを読む〉
エース番号である背番号「11」をつけたドラフト1位左腕は、入団するなり注目を浴びた。1月中旬から始まった新人合同自主トレでは、視察した首脳陣の前で初日から遠投を披露。当時の新聞には、「もう肩の方は完全に大丈夫です」というアキラのコメントが載っている。
キレのあるストレートと共に、大きく曲がるカーブの評価も高く、周囲からは当時中日のエースだった今中慎二になぞらえて「今中2世」の声も上がった。野村監督も「いい体しとるな」とベタ惚れで、その将来性に大きな期待を寄せていた。
ブルペンから消えた「ドラ1左腕」
しかし、2月のキャンプを最後に、アキラの姿はブルペンから消える。
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「高校3年の夏から半年間リハビリをして、自分の中で少しずつ良くなっている感覚はありました。でもやはり、プロの練習が始まってみると消えない違和感があった。なかなか良くならず、色々な方とも話して、まずは完全に肩を治すところからスタートしようということになりました」
ルーキーイヤーは二軍戦でも登板なし。オフには、ヤクルトの提携先であるクリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)のリハビリキャンプに派遣されることになった。それは、インディアンスの提携病院で精密検査を受け、診察次第で内視鏡手術を受けるというプランを含んだ渡米だった。

