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野村克也監督が指名のドラ1左腕「アキラと呼ばれた男」1年目で手術→21歳で戦力外…“消えた天才”の壮絶人生「ヤクルトには感謝してもしきれない」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2025/08/12 11:04

野村克也監督が指名のドラ1左腕「アキラと呼ばれた男」1年目で手術→21歳で戦力外…“消えた天才”の壮絶人生「ヤクルトには感謝してもしきれない」<Number Web> photograph by KYODO

ドラフト1位でヤクルトに入団したアキラの背番号は「11」。荒木大輔から引き継いだものだった

プロ1年目で渡米、手術決断

 12月、アキラは川崎憲次郎、山部太の先輩投手と共にクリーブランドに出発する。プロ1年目の18歳にして大きな決断ではあるが、その胸中に不安はなかったと振り返る。

「1年間投げられなかった悔しさがあったので、とにかく何とかしたいという思いがありました。それに、当時石井一久さんや伊藤智仁さんが、やはり同じようにインディアンスでのリハビリを経験しパワーアップして帰ってきていた。その姿を見ていたので、仮に手術をすることになったとしても、それを乗り越えて自分も力強く戻ってくるんだという希望を抱いていました」

 現地時間12月23日。19歳の誕生日を迎えたばかりの左腕は、オハイオ州クリーブランドのホリゾン病院で左肩の内視鏡手術を受けた。そこから、アメリカの地で再起をかけた長い闘いが始まる。リハビリは決して簡単ではなかったが、一方で、インディアンスの本拠地やキャンプ地の球団施設を使ってのトレーニングは、貴重な経験にもなった。

「今も忘れられない」光景

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「あのドワイト・グッデンや、メジャー通算247勝のバートロ・コローンが目の前にいて一緒にトレーニングをしているんですから。当時はジェイコブスフィールドという名前だった本拠地でも、インディアンスのローテーションピッチャーと一緒に練習させてもらった。満員のメジャーのスタジアムや芝生の感覚、煌めくような世界というのは30年経っても忘れられないです。まだ日本で何の実績もないピッチャーにそんな経験をさせてもらったわけですから、本当にスワローズには感謝してもしきれない……」

 今でも忘れられない光景がある。インディアンスの本拠地のトレーニングルームでのことだ。ある日の早朝、アキラがリハビリのためにトレーニングルームのドアを開けると、暗がりの中で当時インディアンスの先発ローテーションを担っていた右腕のデーブ・バーバが必死にトレーニングをしていた。

「彼は、前日夜の登板でKO負けをくらっていたんです。それが翌朝、夜も明けきらないうちにガンガン体を動かしている。信じられない光景でした。思わず通訳を介して言葉をかけると『昨日のオレはああいう結果になったけど、もう次の戦いは始まっているから』と力強く話していた。そのメンタルの強さ、どんな時も努力を惜しまない姿にメジャー選手の凄みというものを感じました。あれは今も忘れられないですね」

【次ページ】 21歳で突きつけられた「戦力外」

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