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急逝から14年…松田直樹の命日に思う横浜F・マリノスの降格危機「残留争いは本当にきつかった…2週間くらいほとんど眠れなかったから」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2025/08/04 11:04
2001年にJ1降格の危機にさらされていた横浜F・マリノスの副キャプテンを務めていた松田直樹。残留が決まるまでの2週間ほとんど眠れなかったという
いつも応援してくれていた。中3の頃、群馬に住むまだ全国的に無名だった松田少年が、U―15日本代表候補合宿に初めて招集された。合流前、いつも強気の松田も緊張が解けかった。車で自宅から送ってくれた父から「頑張れよ」と背中を押されたことがどれだけ励みになったか。
父との思い出「凄く怒られたことが…」
マリノスに入ってからも父はいつも試合の結果を日記につけていたという。20歳になって、兄と一緒に初めてお寿司屋さんで酒を酌み交わした。いつも口数は少なかったが、温厚で優しい父だった。
父との思い出を尋ねると、申し訳なさそうな表情をこちらに向けた。
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「一度だけ、凄く怒られたことがあったんだよね。反抗期に入って母親に対して『どうしてオレを産んだんだ』と言ったときに、ガツンとね」
マリノスの試合を楽しみにしていた父のためにも降格しちゃいけないという思いは、彼のなかに強くあったに違いなかった。
抱え込んでしまう人だが、周りに弱みを見せる人ではなかった。良かれと思ってあれやこれやと行動に移し、こうと決めたら意地でもやろうとする。松田直樹のほとばしる熱なくして、最大の危機からの脱出はなかった。
