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<急逝から10年>「選手の気持ちを分かってやれる監督に」松田直樹の“願望”と「一緒にライセンス受講」を約束していた男の今
posted2021/08/04 11:03
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
東京オリンピックの話題で持ち切りのなか、私は奈良に足を運んでいた。
松田直樹が練習中に急性心筋梗塞で倒れ、天国に旅立ってから10年が経つ。命日となる8月4日を前に、JFL時代の松本山雅で松田と一緒にプレーしていたチームメイトがある試合に集うとあって、どうしても自分の目で見ておきたかった。
集うといっても奈良クラブの飯田真輝と、FCマルヤス岡崎の北村隆二監督、多々良敦斗の3人だけなのだが。とはいえ松田と一緒にボールを蹴ってきた彼らが、命日前に引き合わされたように思えてならなかった。
ゴロゴロゴロ。
7月31日、奈良にあるロートフィールド奈良の上空にカミナリが鳴っていた。安全面から後半開始時間を遅らせたものの、マルヤスが勝ち越しの2点目を取った直後に再び中断となる。スタジアムの来場者にも注意を呼び掛けるアナウンスが繰り返して流れた。
「マツが俺を地上に帰らせろと怒っているようだ」
うらめしそうに空に目をやる男がいた。
マルヤスを率いる40歳の北村隆二監督だった。その後天候回復が見込めないために中止が発表されると場内からため息がこぼれた。
あの日のことがフラッシュバックした。
彼が天国に旅立ってから3日後の8月7日。J2昇格を目指す松本山雅はSAGAWA SHIGAをホームのアルウィンに迎えていた。空は赤みがかった雲に覆われ、雷鳴をとどろかせていた。誰かが言った。「マツが俺を地上に帰らせろと怒っているようだ」と。
強風と土砂降りによって試合開始が1時間ずれ込んだ。
打ちひしがれながらも「マツさんのために」と戦おうとする松本山雅の選手たちの袖には喪章がつけられていた。