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急逝から14年…松田直樹の命日に思う横浜F・マリノスの降格危機「残留争いは本当にきつかった…2週間くらいほとんど眠れなかったから」
posted2025/08/04 11:04
2001年にJ1降格の危機にさらされていた横浜F・マリノスの副キャプテンを務めていた松田直樹。残留が決まるまでの2週間ほとんど眠れなかったという
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
暑い8月がやってくると彼を思い出す。
日本代表センターバック、松田直樹が急性心筋梗塞によって天国に旅立ってから、はや14年が経つ。
誰よりも熱く、激しく、その鼓動が観ている者に伝わる伝説的なフットボーラーは今なお人々の記憶に新鮮なまま焼き付いている。
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16年にわたってプレーした横浜F・マリノスの象徴でもあった。命日の8月4日に合わせて2日と3日には日産スタジアムにあるクラブショップにメッセージフラッグ記帳台が設置された。
今季のマリノスは残留争いの真っただ中にある。1993年にJリーグが開幕して以来、過去一度も降格の経験がない。これまで最大の危機に立たされたのが、24歳の松田が副キャプテンを務めた2001年シーズンであった。
「あのときの残留争いは本当にきつかった。(最終節までの)2週間くらい、ほとんど眠れなかったから」
松田が当時を振り返って、深くため息をついたことを思い出す。
思ったら即行動に移すのが松田だった
前年の2000年はファーストステージ王者として鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに敗れ、リーグ優勝を期したシーズンだった。しかし開幕から5戦勝ちなしでJ開幕以来、初めての最下位となり、その後も浮上できなかったことでクラブはオズワルド・アルディレス監督を解任。暫定的に指揮を執った下條佳明チームディレクターを挟んでセカンドステージからセバスティアン・ラザロニが監督に就任しても低空飛行が続いた。
チームがどうすればうまくいくか、ばかり考えていた。キャプテンの小村徳男を支えるとともに、いいと思ったら、自分がやらなきゃいけないと思ったら即行動に移すのが松田という人だ。

