サムライブルーの原材料BACK NUMBER

急逝から14年…松田直樹の命日に思う横浜F・マリノスの降格危機「残留争いは本当にきつかった…2週間くらいほとんど眠れなかったから」 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byJ.LEAGUE

posted2025/08/04 11:04

急逝から14年…松田直樹の命日に思う横浜F・マリノスの降格危機「残留争いは本当にきつかった…2週間くらいほとんど眠れなかったから」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2001年にJ1降格の危機にさらされていた横浜F・マリノスの副キャプテンを務めていた松田直樹。残留が決まるまでの2週間ほとんど眠れなかったという

 ある練習試合でラザロニ監督がミスをしたセンターバックのナザに対して何も指摘しなかった。ナザは指揮官自らの希望で呼び入れた選手であり、お気に入りだからとチームメイトが受け取ってしまえばチームはまとまらないと彼は思った。チームメイトを集合させてから指揮官のほうに向かい、みんなが見ている前で「怒るべきところはみんな平等に怒ってほしい」と要望している。

ちょっと強引な「髪染め指令」も

 選手だけを集めて、温めていたプランを実行に移したこともあった。1998年のフランスワールドカップで、ルーマニア代表は全員、金髪に染め上げてラウンド16を戦ったことが心に焼きついていた。

「一体感がないとダメだ! みんな髪染めようぜ!」

ADVERTISEMENT

 ちょっと強引な髪染め指令。マツが言うから、やるしかないか、と反発の声はなかったとか。

 鮮やかな茶髪の者もいれば、ちょっとだけ染めた者もいれば、元のままの選手もいる。バラバラ感もまたどこかマリノスっぽい。それをOKとするのも松田っぽい。一つになろうと、そこに意識を向けることが彼にとっては大事なのだから。呼び掛けていないはずのメディアの番記者までが、スプレーで金髪にしていた。

 行動派の人は、こんなことも新たなルールにしている。試合前のロッカールームで監督、コーチングスタッフに外してもらい、最後は選手だけで心を一つにする時間をつくった。普段はあまり発言しない選手まで試合に対する決意を口にすれば、みんなの体温が上がっていくような感覚を持った。

残り2試合で降格圏の15位に

 守護神・川口能活が海外挑戦のため断腸の思いでチームを離れるなか、ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を初優勝。これで波に乗るかと思いきや、決勝後は1分け2敗で勝ち点5差あった東京ヴェルディに抜かれ、降格圏の15位に再転落する(2001年は16チーム制)。泣いても笑っても残りは2試合、三ツ沢でのガンバ大阪戦、アウェイでのヴィッセル神戸戦しかない。

 勝負のガンバ大阪戦は先制されながらも中村俊輔、上野良治のゴールでリーグ戦5試合ぶりの勝利をつかみ、この節敗れたヴェルディ、アビスパ福岡を上回って残留圏内の13位にこぎつける。だが最終節のヴィッセル戦は大黒柱の中村が累積警告で出場停止となり、ヴェルディ、アビスパとは勝ち点2差。得失点差では大きく引き離しているとはいえ、負けて両チームが勝てば降格となる。

 そして迎えたヴィッセルとの最終節。中村の代わりに直接FKを託されたドゥトラの一発で先制しながらも、カズに同点ゴールを奪われる。右サイドからのクロスをクリアしきれなかったボールを、波戸康広と松田の間でカズに絶妙のトラップから右足で決められてしまった。一進一退のまま、延長戦へ。このときマリノスサポーターから安堵の声が上がる。アビスパが敗れ、残留が決まった。松田の眠れない日々にピリオドが打たれた。

 この年の9月、松田には大きな悲しみがあった。闘病していた父を亡くした。

【次ページ】 父との思い出「凄く怒られたことが…」

BACK 1 2 3 NEXT
#松田直樹
#横浜F・マリノス
#松本山雅

Jリーグの前後の記事

ページトップ