甲子園の風BACK NUMBER
甲子園“あの名門公立校”が2回戦敗退…やまびこ打線・池田高で見た“40年前との差”「今の高校野球は過渡期」敗退2日後、監督が記者に打ち明けた胸中
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田中仰Aogu Tanaka
photograph byNumberWeb
posted2025/08/03 11:01
今夏の徳島大会。池田高校は2回戦で敗れた
「何故打たせられなかったのか。今日も今も自問自答が続いています。私に足りなかったもの。変えること。変わること。直ぐに始まる新チームに答えを探し、再出発します」
なぜ池田は甲子園から離れたのか。そう質問したときに井上は次のように返した。
「監督である私の責任は免れないと思います。そこに言い訳するつもりはありません」
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最初に聞いたとき、白状すれば、そこまで思い詰めなくていいのでは、と思った。たかが高校野球ではないか。たかが部活動ではないか、と。そうした引いた見方は多少なりとも持っておきたいと思う。あまりに神聖視しすぎて歪みが生まれるケースを少なからず見聞きしてきたからだ。だが、池田を訪ねて井上と話した今は、すこし考え方が変わった。「たかが部活動」に熱量を注ぎ、名門の重圧に苦しみ、ひとりの大人が変わろうとしている。そういう人間にかける言葉として「悩まなくていい」は違う。そんな気がしたのだ。
「甲子園で聞きたい。池田を覚えてますか?って」
井上の目標は今年もかなえられなかった。
「夏の徳島を優勝して甲子園に行って。あの場所で聞きたいんです。池田高校のこと、覚えてますか?って」
だが思えば、かの蔦文也も甲子園初出場まで20年の時を要した。井上は蔦の幻影を探すようにしみじみと語っていた。
「蔦さんの、バントは不要でとにかく打たせるという野球は、小技じゃ勝てなかったという“諦め”から生まれたんです」
名門は今、苦境の只中にいる。夏の徳島大会33年連続敗退も、過去の栄光も、少子化も。考えるほどに気が滅入りそうな現実にいる。
そこにあって、努めて明るい口調で池田野球部の展望を話す人物がいた。「5年後、面白くなると思いますよ」。
〈つづく〉

