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「長嶋野球はデータ重視ですよ」ヤ→巨→神・広澤克実が見た3人の名将「長嶋茂雄監督は《太陽》」「天性の勝負勘が凄い…賭け事もしないのに(笑)」
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/07/16 17:03
1995年、広澤は野村ヤクルト最大のライバル・長嶋巨人にFA移籍する。悩みに悩んだ末、「やらなかった後悔」より「やってしまった後悔」を選んだ結論だった
野村さんはマージャン、星野さんは株、長嶋さんは……?
ここで、広澤は、これまで仕えた「3人の名将」の比較を披露する。
「野村さんはマージャンですね。一緒に卓を囲んだことはないけど、若い頃からギャンブルは強かったようです。そして星野(仙一)さんは株とか、投資とか、経済方面。そして長嶋さんは天性のもの。ミスターだけはギャンブルじゃないです(笑)」
広澤によれば、長嶋もまた、野村同様「データ重視」を志向した。しかし、そこに「ひらめき」と呼ばれる、本能的な嗅覚を加味することで独自の采配が行われていたのだという。
「野村ノート」の弱点に気づいた長嶋ジャイアンツ時代
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広澤が長嶋から教わった最大のこと。それが「プロとしてのあり方」だった。
「今日はお客さんがどれぐらい入っているのか。ちゃんと満足して帰ってくれたのか。入場料に見合った価値のある試合だったのか……。長嶋さんは、常にファンのことを気にする監督でした。そんな監督は、それまで見たことがありませんでした」
移籍2年目となる96年、オープン戦での死球によって、それまで築き上げていた連続試合出場記録がストップした。復帰後も出番はほとんどなくなり、プロ入り以来最低となる成績に終わった。97年こそ、126試合に出場したものの、それ以降は控えに回ることが増えていく。気がつけば30代も半ばになっていた。ちょうどそんな頃、広澤は「野村の弱点」に直面することになった。
「30代も半ばを過ぎる頃、それまでのバッティングが通用しなくなりました。故障の影響もあったけど、目の衰えもあって、少しずつ反応が遅くなっていました。僕はそれまで、『野村ノート』をバイブルにして選手生活を送ってきたけど、このノートには《インコースが来る確率》は書いてあっても、《インコースの打ち方》は書いていないんです。ピッチャーにしても、《アウトローが重要だ》とは書いてあっても、《アウトローへの投げ方》は書いていない。そんな事実に直面したのが、この頃のことでした」
プロ選手として10年以上のキャリアを誇っていた。「今までやってきたことがまったく通用しない」という非常事態に直面した広澤が取り組んだのが、「一から技術を磨くこと」だったという。


