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36年ぶり「大学1年生がアマ横綱」の衝撃…大の里も撃破した“天才力士”は、なぜ相撲界から姿を消した?「整備された“道”が見えてしまった」

posted2025/07/14 11:01

 
36年ぶり「大学1年生がアマ横綱」の衝撃…大の里も撃破した“天才力士”は、なぜ相撲界から姿を消した?「整備された“道”が見えてしまった」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2020年の12月、大学1年生としては36年ぶりとなるアマチュア横綱に輝いた花田秀虎。一方で、その栄光は花田の心中に微妙な変化をもたらすことになる

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別府響

別府響Hibiki Beppu

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 この7月場所から新横綱となった大の里。戦後のあらゆる最速記録を更新しながら角界の頂点まで駆け上がった怪物だが、実は大学4年時、アマチュア界には“敵なし”だった時期に世界大会の決勝で同じ日体大の後輩に敗れている。では、未来の横綱を破ったその後輩とはいったい何者だったのか。そして、なぜ彼はその後、突然土俵から姿を消したのか――?《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/つづきを読む》

 花田秀虎が本格的に相撲をはじめたのは、小学生の時だ。

 大学時代にレスリングで全国制覇の経験がある父と、柔道で国体に出場し指導者の資格も持つ母。そんな格闘技一家に生まれ、幼少期から様々な競技に親しんでいた。

 本人は当時をこう振り返る。

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「両親の影響もあっていろんな競技に触れさせてもらって、基本的に全部好きだったし、そこそこ強かったんです。でも相撲って引き分けがないし、勝敗もめちゃくちゃ単純じゃないですか。そのシンプルさがすごく好きで」

 そして、小学校2年生の時に地元・和歌山県で開かれたわんぱく相撲で優勝。徐々に相撲の深みにハマっていったという。

「そこから地元の相撲教室に通い始めました」

 ただ、この頃は和歌山市内の少年相撲教室に通いながら、変わらず他のスポーツも楽しんでいた。小学校を卒業し、中学校へ進学する段階になって「1つに絞ろうとなって、一番しっくりきていた相撲を選んだ」という。

 花田が通った西和中学校にはもともと古豪の相撲部があったのだが、当時は部員不足で休部状態になっていた。そこで、花田たちの代で相撲教室に通っていた面々とともに部を復活させることにした。結果的に中学時代は3年時に全中の個人戦で準優勝するなど、全国でも注目株の仲間入りをすることになった。

小学校から高校まで同じ土俵…恵まれた相撲環境

 高校は、中学校に隣接する県立和歌山商業高へと進学。

「小中と指導してくれた先生が和歌山商業の先生で、そのまま教えてくれるということになって。なので小学校の相撲教室時代から、ずっと同じ土俵で稽古することができました」

 もちろん中学卒業と同時に入門する力士も少ないながらもいる。

 ただ、花田に関して言えば、偶然前述のような一貫した指導環境が整っていた。加えて、和歌山県には相撲の強豪実業団である和歌山県庁があり、その面々も同じ土俵で稽古を積んでいたという幸運もあった。

【次ページ】 多くの部屋から勧誘も…選んだのは「大学進学」

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