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「俺、もう辞めたい…」川平慈英の泣き言に久米宏は何と返した? 初の全国生放送で緊張する川平に久米がニヤリ お化け番組『Nステ』秘話
posted2026/01/15 11:04
久米宏がキャスターを務める『ニュースステーション』でスポーツコーナーを担当した川平慈英。久米との掛け合いはお茶の間で人気を博した
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Kiichi Matsumoto(Jay Kabira),Takashi Shimizu(Hiroshi Kume)
1993年、日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグの開幕を控え、『ニュースステーション』でもサッカーを報じる準備が始まっていた。舞台俳優として活動していた川平慈英は、リハーサルの空き時間にリフティングをしていたところ、演出家の福田陽一郎の目に留まった。福田は同番組のメインキャスターである久米宏と同じ事務所に所属し、さらにその事務所が番組の制作も請け負っていたこともあり、「サッカーフリークで面白いやつがいる」と番組プロデューサーに伝えたのだった。
「久米さんの隣に座れるんだよ?」
「2週間後、僕の事務所に番組からカメラテストの話が来て、事務所の人間が『とりあえず受けよう』と。それで衣装を着せられ、原稿を渡され、『決まった!』『グーッ、サイコー!』って熱く叫んだの。そうしたら、さらに2週間後、『決まったよ』って。うちの事務所、万々歳ですよ。でも、僕は『ちょっと待って。俺、嫌だよ』って言ったんです」
当時『ニュースステーション』と言えば視聴率が20%を優に超えるお化けニュース番組である。川平の知名度からすると、大抜擢だった。しかし、川平は頑なに断り続けた。
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「いやいや、俺は役者だよ。どうしてニュース番組に出ないといけないんだって。事務所の人間は『は?』みたいな(苦笑)。『久米さんの隣に座れるんだよ』『全国放送だよ』って説得されたけど、最初のうちは『やれよ』『やらない』の繰り返しだった」
91年にWOWOWのサッカー番組の司会を務め、その後、テレビ東京で『ダイヤモンドサッカー』のMCも経験していたが「趣味を仕事にするのは難しい」と感じていた。
「それに、ニュース番組に出てキャスターの色が付くのも嫌だったし、何より夜の生放送なので舞台スケジュールとの兼ね合いが心配だったんです」
事務所からの説得が続くなか、川平は最終的に兄のジョン・カビラに相談することにした。


