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「3年間タダ飯…申し訳ない」家を建てたのに“山田久志と確執”でトレード志願「じつはオリックスと年俸を折半」山崎武司の中日電撃退団ウラ話
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間淳Jun Aida
photograph byKyodo News
posted2025/07/07 11:01
2002年の山崎武司。慰留された山田久志新監督との関係が折り合わず、このシーズンオフにトレード志願することに
「ドラゴンズは自分のために契約が残っている2年分の年俸を半分肩代わりしてくれたと後から知りました。オリックスは年俸の全額は負担できない、ドラゴンズとの折半であればトレードに応じるという条件を出したそうです。オリックスの立場なら当然ですよね。だから、ドラゴンズには、ものすごく恩義があるんです」
人生で一番泣きましたね…ロッカーで
希望していたトレードは実現した。新天地で、もう一花咲かせる前向きな気持ちになると思っていた。だが、込み上げてきたのは中日を離れる寂しさだった。慣れ親しんだ本拠地でロッカーを整理していると、自分でも驚くほど涙があふれてきた。
「誰もいないタイミングを見計らってロッカーに自分の荷物を取りに行きました。片付けていると色々な記憶がよみがえってきました。ロッカーで1人、人生で一番泣きましたね。ドラフトで指名された時は、ドラゴンズには絶対入りたくないと思っていたのに」
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愛知県出身の山崎は地元を離れてプレーしたかった。ドラフト前から愛工大名電高の監督や両親らに、その意思を伝えていた。実際、中日からドラフト2位指名を受けた際、入団を拒否して社会人に進もうと考えていた。
だが、18歳でプロのキャリアをスタートして、2002年まで中日一筋で16年。心は染まっていた。
「トレードを志願しておきながら、最後の最後までドラゴンズを出ていきたくなかった。自分がどれだけドラゴンズを好きなのか気付きました」
後ろ髪を引かれる思いで、山崎は中日を去った。〈つづく〉

