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「3年間タダ飯…申し訳ない」家を建てたのに“山田久志と確執”でトレード志願「じつはオリックスと年俸を折半」山崎武司の中日電撃退団ウラ話
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間淳Jun Aida
photograph byKyodo News
posted2025/07/07 11:01
2002年の山崎武司。慰留された山田久志新監督との関係が折り合わず、このシーズンオフにトレード志願することに
「もう、この人とは信頼関係を築けないと思いました。言いたいことがあるなら、直接伝えてほしかった。そのまま二軍に落とされましたが、顔も見たくなかったですね」
結局この年は、わずか26試合の出場に終わった。本塁打は2本で、8年ぶりに2ケタに届かなかった。山田が監督を続ける限り、山崎が一軍で活躍するチャンスがないのは明らかだった。だが、中日とは3年契約を結んでおり、あと2年残っている。山崎は「3年間タダ飯だなと。ドラゴンズに申し訳ない思いでいっぱいでした」と振り返る。
3年4億5000万円(金額は推定)で中日と契約した山崎は、成績にかかわらず満額を受け取れる。周りからはうらやましく見えるかもしれないが、高額な年俸をもらっておきながら二軍生活を送るのは精神的なダメージが小さくない。
編成担当に「他のチームに出してください」
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山崎は複数年契約を結んでいる選手としては異例の行動に出る。二軍時代から親しく、当時は編成を担当していた井出峻に相談した。
「ドラゴンズではプレーできないので、他のチームに出してください。このままドラゴンズに残ったら傷害事件を起こしてしまいそうです」
“飼い殺し”には耐えられない。山崎はトレードを志願した。井出は「傷害事件なんて、口にするな」と叱りながらも、切実な訴えに耳を傾けた。山崎の性格を知る井出は力になろうと行動したという。山崎が回想する。
「年俸が高額ですし、首脳陣と衝突した選手を獲りたい球団は簡単に見つかるはずないですよね。それでも、井出さんはトレード先を探してくれました。希望はセ・リーグ、できればジャイアンツかヤクルトに行きたいと井出さんに言ったら、『同一リーグはダメに決まっているだろ』と怒られました」
「今だから言える」オリと中日の年俸条件
山崎が子どもの頃から憧れていた巨人と、相性の良い神宮球場を本拠地とするヤクルトは獲得に興味を示さなかった。交渉のテーブルについたのは、ロッテとオリックス。井出から2球団のどちらを希望するか尋ねられた山崎はオリックスを選んだ。
「その頃はオリックスが低迷していたので、自分がチームに加わって何かを変えることができればと考えました。それから、若手の頃にウエスタン・リーグで関西によく行っていたので、土地勘があって生活に不便はないと思いました」
シーズンオフの1月、平井正史投手とのトレードが成立し、山崎のオリックス入団が決まった。実は、トレードが上手くいった裏で、山崎は中日に大きな負担をかけていた。
「今だから言えるんですが」と前置きして明かす。

