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鳥谷敬の“巨人入団”なぜ消えた? 巨人優位がまさか…阪神入りを表明「黒田さん、僕が監督辞めたから取れたんですね」原辰徳が阪神編成部長にポツリ
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岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/08 11:05
2003年オフ、鳥谷敬をめぐる争奪戦は阪神が制した
「東京ドームの人工芝と比べて、甲子園の土のグラウンドは身体への負担が少ない。そういう環境面を考えてくれたんかな。あと、巨人は原(辰徳)が監督を辞めたでしょう。あれも大きかったんじゃないですか」
この頃、優勝マジックを着実に減らす阪神を尻目に、巨人は9連敗を喫する。最下位に沈んだ75年以来の屈辱だった。9月17日の中日戦(ナゴヤドーム)で連敗を止めたが、翌日に原監督の去就を問われた渡辺オーナーが「まだわからん。(19日からの阪神戦で)3連敗したら話は別だ」と発言。新たに就任したフロントとの確執も伝えられた原は26日、突然の監督辞任を表明した。
「黒田さん、僕が辞めたから取れたんですね」
翌春、評論家に戻った若大将は、阪神のキャンプ地を訪問。鳥谷を見ながら、黒田に話し掛けた。
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原:黒田さん、僕が辞めたから取れたんですね。
黒田:アホか。お前より、阪神のほうがええと言っとったがな。
「強気にそう言わな(笑)。でも、鳥谷も阪神で良かったでしょう」
鳥谷は巨人に行けば、試合に出られないと見越していた感がある。「二岡をショートからサードに転向させる」という話を信じられない状況が揃っていたのだ。巨人の三塁には本塁打王2回の江藤智、クセ者の元木大介がいる上に、伸び盛りの斉藤宜之も外野や一塁と兼務していた。そして、シーズン終了後の11月3日にはダイエーの主砲・小久保裕紀を無償トレードで獲得。
この5日後、鳥谷は正式に阪神入りを表明している。そして、1年目から101試合に出場し、2年目に遊撃のポジションを奪取した。
「鳥谷の活躍は、金本というお手本も大きかったと思うよ。35歳を過ぎていたのに、本当によく練習する選手だったから。そしたら、若手がサボるわけにはいかんもんね」
鳥谷は05年から試合に出続け、衣笠祥雄の17年連続に次ぐ「13年連続全試合出場」という歴代2位の記録を樹立。金本とともにチームを引っ張り、巨人に立ち向かった。
黒田が編成部長を務めた8年間、阪神は優勝2回、Aクラス6回、Bクラス2回。巨人は優勝3回、Aクラス6回、Bクラス2回。タイガースの暗黒期突入で色褪せていた“伝統の一戦”は、阪神が106勝85敗5引き分けと大きく勝ち越した。巨倒復活に導いた“知られざる重鎮”。それが黒田正宏だった。


