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「1億円新居の完成直後に通告されて」佐々木誠が驚愕したダイエー←→西武“史上最大の3対3トレード”の内幕「球団は“出さない”と言ったのに」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasashi Ebato(L)/Bungeishunju(R)
posted2025/07/05 11:04
1993年、前年の首位打者のダイエー・佐々木誠(左)と、王者西武の看板打者・秋山幸二(右)を中心とした3対3の「史上最大のトレード」が
4試合出場で、13打数5安打4打点の打率.385、2盗塁。ダイエーのレギュラー外野手に定着した佐々木は、91年に130試合全試合出場、打率.304、158安打、36盗塁をマーク。続く92年は打率.322で首位打者、164安打で2年連続最多安打をマークし、40盗塁で初の盗塁王にも輝いた。ホームランも91、92年ともに21本。まさしく、脂の乗り切った全盛期ともいえるその時、西武へのトレードが決まったのだ。
「トレードはない」と言われていたのに……
長い低迷期が続いていたダイエーでの活躍ぶりに、球団側には水面下でトレードの打診が相次いでいたという。そうした真偽不明の噂が、スポーツ紙や夕刊紙の大見出しとともに幾度となく報じられるのも、博多の“新たなる顔”になった佐々木の宿命でもあった。
そうした雑音を消すために「トレードには出さない」と公言したのは「公私ともに仲良くさせてもらっていた」と佐々木が認めるほどに信頼を寄せていた、当時のダイエーのオーナー代行・中内正だった。
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「ジャイアンツがどうのこうの、って、すごい噂になったんですよ。それを正さんが白紙にしてくれた。『トレードはない』って言われて、じゃあ、福岡に永住しようかという感じで家を建てたんですよ」
かくして、冒頭に述べた通り、西武へのトレードを通達されたとき、新居はすでに完成していたという。その当時の喧騒ぶりを、佐々木の克明な記憶をもとに辿ってみよう——。
〈つづく〉

