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「1億円新居の完成直後に通告されて」佐々木誠が驚愕したダイエー←→西武“史上最大の3対3トレード”の内幕「球団は“出さない”と言ったのに」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasashi Ebato(L)/Bungeishunju(R)
posted2025/07/05 11:04
1993年、前年の首位打者のダイエー・佐々木誠(左)と、王者西武の看板打者・秋山幸二(右)を中心とした3対3の「史上最大のトレード」が
前身の南海時代にあたる1978年から、ダイエー9年目となる1997年まで「20年連続Bクラス」。その歴史を受け継いだソフトバンクの、21世紀における常勝軍団ぶりを見ると、その弱過ぎた過去もいまや、信じがたいものがある。
その弱小球団に勝利のイズムを植え付け、未来の常勝軍団への礎を築くべく、93年からダイエー監督に就任していた根本は、同年9月から代表取締役専務、球団本部長を兼務。事実上のGM、編成トップとなった根本は、チームの“血の入れ替え”を図るべく、大胆なトレードを仕掛けたのだ。
電撃ビッグ・ディール
1993年11月16日。
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ダイエーからは佐々木、3年連続開幕投手の村田勝喜、左腕のリリーバー・橋本武広。西武からは、こちらも「メジャーで通用する日本人野手」と呼ばれ、1989年には打率.301、31本塁打、31盗塁で当時史上5人目となる「トリプルスリー」も達成した秋山幸二、3年連続で2桁勝利の経験がある渡辺智男、若手右腕の内山智之という「3対3」の大型トレードが成立、両球団から発表された。同一リーグ同士で、それぞれの球団で中軸を打っていた主力が絡んだ、まさに“ビッグ・ディール(大型取引)”だった。
当時のダイエーは、前述した通り、常に「弱い」という枕詞のつく弱小チームだった。だから佐々木は、南海、ダイエーでの10年間で、優勝はおろか、Aクラスすらも経験していない。その“弱いホークス”で、佐々木はそれこそ異彩を放つ存在でもあった。


