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「木佐貫くん、トレードです」巨人の新人王右腕がなぜ? 電撃移籍の舞台裏…オリックス→日本ハムでは大谷翔平と“同期”に「今は僕が助けられて…」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKYODO
posted2025/07/01 11:04
オリックスへのトレードが決まり、当時の清武球団代表とともに会見する巨人・木佐貫
「野球が大好きな小学生がそのまま大きくなったような印象でした。投手陣では年上の選手に一人で混ざっていましたが、翔平も気さくな感じで『(ゲームの)ファミスタで、うちの兄貴がよく木佐貫さん使ってました』と言ってきたり。みんな『翔平、翔平』と可愛がっていましたね」
自分が質問したのに…大谷翔平のストイック秘話
当時から、野球に対しては徹底的にストイックだった。札幌ドーム(当時)のトレーニングルームでのこと。木佐貫さんがバイクを漕いでいると、ウエイトトレーニング中の大谷が「フォークボールってどうやって投げてますか?」と話しかけてきた。
「彼がボールを持ってきたので、バイクを漕ぎながら『俺はこうやってこんなふうに……』って握りを見せようとしていたんですが、その瞬間にタイマーがピピピピッと鳴って。インターバルの休憩時間が終わったようで、翔平は僕の答えも聞かずに踵を返してトレーニングに戻って行きました。『おーい、お前が聞いてきたんだろー』って(笑)」
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木佐貫さんが熊本での自主トレのお土産としてご当地キャラクター「くまモン」のマスコットをプレゼントし、気に入った大谷が移動のリュックにつけていたこともある。
「野球小僧みたいな一面もあるけれど、礼儀正しくて本当に可愛い後輩でした。今は翔平に僕が助けられています。野球教室をする時には、最初に必ず『おじちゃんのことは知らないと思うけど、大谷翔平くんと同期入団でした』って言うと子供達が目を輝かせて話を聞いてくれるんですよ」
忘れられない15年越しのリベンジ
日本ハムでの3年間で忘れられないのは、移籍1年目の5月20日、巨人戦だという。古巣との対戦、加えて相手の先発は杉内俊哉投手。高校3年生の夏、県立川内高のエースだった木佐貫さんは、県大会の決勝で鹿児島実業の杉内に投げ負け甲子園出場を逃していた。15年越しの再戦。結果は7回1失点で勝利投手となり、“リベンジ”を果たした。
「先発の前日は気合が入りすぎてなかなか眠れなかったです。川内高校の同級生から『今度こそ頼むぞ』みたいなメールが次から次に届くんですが、『俺が一番気合が入っとるんだ!』と画面はなるべく見ないようにして。相手が巨人ということはもちろん、投げ勝てたのはやっぱり嬉しかったです」
2015年9月、木佐貫さんは日本ハムから戦力外通告を受け、現役引退を決断する。球団への引退報告への席上、渡されたのは1枚のメモ。そこには名前を伏せた、謎の電話番号が書かれていた。〈つづく〉


