甲子園の風BACK NUMBER
「藤浪投手の完成度は大谷を上回っていた」花巻東の同級生が意外な証言…甲子園で“藤浪からホームラン”直前、大谷翔平がしていた「ある予告」
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上杉純也Junya Uesugi
photograph bySankei Shimbun
posted2025/08/08 06:01
2012年のセンバツ大阪桐蔭戦、藤浪晋太郎から本塁打を放つ大谷翔平(花巻東)
「県内では手がつけられない」ほどの大谷の勢い
――結局、春の選抜も初戦敗退という残念な結果に終わってしまいました。そして最後の夏の大会を迎えることとなります。このときの夏の岩手県大会では小原さんは何試合くらい登板していたんでしょうか?
小原 2試合、投げています。特に3-0で勝った準々決勝の盛岡四戦は9回の1アウトくらいまで投げているはずです。その後に大谷が行きました。
――結果的に次の準決勝の一関学院戦で投手・大谷は160キロを叩き出します。ほぼ体調は戻っていたと考えていいのですか?
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小原 もう県内では手がつけられないくらいの勢いでした。
――ほぼ無双状態で迎えた準決勝の一関学院戦の6回表に大谷選手は日本の高校生では初となる球速160キロをマークしましたが、その瞬間の球場の雰囲気はどんな感じだったのでしょう?
小原 あの瞬間のどよめきは一生忘れられないです。
160キロは「本人が目指していた数字」でもあった
――小原さんも、ひょっとしてこの試合で160キロを出すのではないかと思われたのでは?
小原 バッターは相手のエースだった鈴木(匡哉)選手(現・JR九州勤務)でした。その初球で157キロを出したあとに158キロか159キロを出して、1キロずつくらい数字が上がっていきました。「これカウント3-2までいってストレートを要求したら160キロ出るんじゃないか」という雰囲気はありました。といいますか、「出してほしい」と。本人が目指していた数字でもあったので。160キロは当時の高校生、ましてやプロ野球でも日本人選手が投げるということが信じられない数字でした。「いや無理だろ」と思っていた自分もいましたし。それでも大谷の目標というか夢みたいなものが叶う瞬間を見てみたいというファンみたいな心理状態ではありました。
――160キロを出したニュースが日本中に広がってさらに大谷選手への注目度が高まりました。そんな状況で決勝の盛岡大附戦を迎えます。《インタビュー第3回に続く》
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