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「『何? その打ち方』と笑われても」移籍した広島で30歳のブレイク・木村昇吾が横浜に“恩返し”できたわけ「一軍に残るため…捕手の準備まで」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/06/25 11:07
トレードされた広島で、セールスポイントの守備と足のみならず、打撃も開眼し30歳のブレイクを果たした木村
30歳でのブレイク
守備固め、代走要員を卒業し、ケガの東出に代わって「2番セカンド」が指定席となり、最後まで乗り切った。規定打席には届かなかったものの.324の高打率、OPSは.871を記録。30歳、超遅咲きのブレイクであった。
翌2011年はキャリアハイとなる106試合に出場。ケガの梵に代わって本職のショートを任された。12年には再び守備固め、代走要員となりながらも、翌13年は規定打席に到達しなかったが打率.325をマークし、クライマックスシリーズにも出場を果たす。
内野はどこでも守れたほうがいいとファースト、さらに外野にもチャレンジした。赤松真人から借りた外野のグラブでファーストを守っていると、スタンドから「誰か木村にミット貸してやれ」との声も飛んだ。
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「内野のグラブは小さいし、ファーストミットだと受けたボールの感覚がない。指の先まで伝わってくる外野のグラブのほうがいいんですよ。本来はショートなんで、やっぱりショートで勝負したい気持ちは当然ありました。ショート梵、ファースト栗原(健太)とゴールデングラブ賞で、セカンド東出もベストナイン2回。カープはみんな守備がうまい。そのなかで僕も負けまいとやってきたつもりです。
地方での巨人戦だったかな。キャッチャーがいなくなって、(防具をつけて)準備した試合もありましたよ。僕はユーティリティープレーヤーになるためにプロ野球選手になったわけじゃない。でも一軍にいないと何ごとも始まらないし、お金も稼げない。やれるかと言われて、できないとは言わない。ファーストでも外野でもとにかくやるしかなかった」
FA権を得て……自分はこのままでいいのか
一軍の高いレベルにしがみついてきたからこそ、やがては打てるようになり、ユーティリティーという木村ならではのポジションを得た。年俸も約4000万円までアップした。
そして145日以上の一軍登録が9シーズンとなって手にできる海外FAの資格を得る。
残り少なくなってきたプロ野球人生、自分はこのままでいいのか。2015年11月、木村は大きな決断を下すことになる。
〈全4回/4回目につづく〉

