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「あのままだったら終わっていたかも」中日→オリックスへトレードの岩嵜翔「最優秀中継ぎ投手」が手術、育成…苦闘の先に歩む“新しい野球人生”
 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph bySANKEI SHIMBUN

posted2025/06/21 11:06

「あのままだったら終わっていたかも」中日→オリックスへトレードの岩嵜翔「最優秀中継ぎ投手」が手術、育成…苦闘の先に歩む“新しい野球人生”<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

オリックスで「新しい野球人生」を歩み出す岩嵜翔

 まさに“必要とされて”の移籍だ。

 オリックスの福良淳一ゼネラルマネージャーは、「今の中継ぎ陣の数字を見てもらったらわかるように、そこの強化という意味で、岩嵜君に頑張ってもらおうかなというところ。今年のボールを見ても、力があるし」と語った。

「体を削ってでも…」35歳の“覚悟”

 オリックスの救援防御率は12球団最下位の4点台。経験豊富な岩嵜の獲得でその弱点を補強し、勝利に転じる試合を少しでも増やしたい。その期待は岩嵜自身も重々承知だ。

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「フル回転してくれと言われましたし、そのつもりで来ています。今年は50試合投げる目標があったので、今からでも。年齢的にも別に、言い方はアレですけど、今年で終わってもいいと、それぐらいの気持ちで投げている。チームが優勝するために、自分の体を削ってでも、投げたいなと思います」

 35歳の並々ならぬ覚悟が伝わってきた。

 岩嵜は、市立船橋高校から2007年の高校生ドラフト1巡目でソフトバンクに入団。先発を経て、セットアッパーとして頭角を現した。2017年は主に8回を任され、72試合に登板、46ホールドポイント、防御率1.99という圧巻の成績で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

絶頂期から一転…手術、育成契約

 当時オリックスの監督を務めていた福良GMは、「あの頃はもう無双状態やったですからね」と回想する。

 18年以降は右肘の怪我や手術を繰り返し、投げられない時期が続いたが、21年は48試合に登板。一時はクローザーも任された。

 その年のオフ、求められて中日に移籍したが、移籍1年目の22年開幕直後に右肘に違和感を覚え、戦線を離脱。9月にトミー・ジョン手術を行い、シーズン後に育成契約となった。

 長いリハビリを経て24年2月に実戦復帰。ファームで登板を重ねて6月に支配下登録を勝ち取り、8月の広島戦では自己最速の158キロを計測した。今年4月1日の巨人戦では、同点の7回表にリリーフ登板して無失点に抑え、その裏、味方が勝ち越したため、1413日ぶりとなる勝利を手にした。

苦闘の日々によぎった“引退”の二文字

 だが4月28日に登録を抹消されて以来、一軍から遠ざかっていた。そんな時に巡ってきたトレードだった。

「あのままだったら……年齢的にはもう引退が近いので、もしかしたらそのまま終わっていたかもしれない。本当にありがたいことだなと思います」

 32歳でトミー・ジョン手術をした頃から“引退”の二文字が頭をよぎるようになったという。

「あの歳で手術させてくれたことにすごく感謝していますし、寿命が延びる可能性がある手術をさせてもらった。ただ、年齢的な部分もありますし、次怪我したら、そういう(引退の)時だと思っているので。でもそれまでに、ケアだったり、できる限りのすべてのことをしっかりやって、そういう日が来てしまった時に、仕方ないと思えるように、最善の努力をしようと思っています」

【次ページ】 「あらがっていきたい」貫くこだわり

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