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「1位当てて頭抱えたの、ドラフト史上でオレだけやろ」元スカウト部長が語る長嶋茂雄の“2世”長嶋一茂《ドラ1指名》全内幕「どんな顔して挨拶に…」
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安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/12 11:00
1987年、ドラフト1位で立教大からヤクルトに入団した長嶋一茂。ドラフトでは大洋ホエールズと競合、抽選の結果ヤクルトが交渉権を得た
そんなこんなで93試合で31本。
3試合に1本の割合で放り込んでくれて、われわれスワローズファンに痛快な思いをさせてくれた「怪物」だったが、大物だけにいろいろ事情もあったのだろう。なんとたった1年間で風のようにアメリカに去ってしまい、ヤクルト打線には大きな風穴が開いた状態でシーズン終了となった。
助っ人の突然の離脱…迎えた「ドラフト会議」
そして、その1987年も「ドラフトの秋」を迎えていた。
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その頃のことを当時、ヤクルトのスカウト部長をつとめていた片岡宏雄氏から何度も聞く機会があった。
拙書『スカウト魂』(2011年刊)にも登場していただいたが、あらたまった取材の問答というよりは、いつも思い出話をブツブツと。問わず語りの楽しい時間だった。
四国生まれの大阪育ち。子供の頃は戦災でひどい目にあって、戦後数年経ったあたりの「浪華商(現・大阪体育大浪商)黄金時代」に捕手として入学。
甲子園でも活躍し、下の学年には坂崎一彦(外野手・元巨人他)、山本八郎(捕手・元東映他)に大打者・張本勲。バンカラで鳴らした校風にどっぷり3年間。結局、2021年に亡くなるまでそのまんまだった大阪弁と、当時のスカウトには珍しくとてもおしゃれで、自分のスタイルを通すところがチャーミングに見える方だった。
そんな片岡氏は、この年のドラフトをこんな風に振り返っていた。
「おお、よう覚えてるよ……一茂なぁ」
そう、この年のドラフトで「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の息子・一茂を1位指名したのが、他でもないヤクルトだった。
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