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野球クロスロードBACK NUMBER
杉内俊哉へ「必要としてくれる球団はない」発言は本当にあった?…ソフトバンク元フロントが振り返る“ホークス→巨人”衝撃の移籍の舞台ウラ
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田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/11 11:05
2011年にFAでソフトバンクから巨人へ移籍した杉内俊哉。杉内の涙の会見もあり、ファンの批判の矛先は当時のフロント陣に向かうことになった
――それが、あの「涙の会見」へと発展してしまった、という流れですね。
小林 きっと杉内選手の中では「もっと正当に評価されるべきではないか」という思いがあったのでしょうね。その悔しさが、感情となって表に出たのだと思います。
――とはいえ、杉内選手の話では「自分がFA宣言をすれば年俸は上がり、必然的に獲得できる球団は限られてくるだろう」と理解していたようです。会見で感情を露わにしてしまったことについても、「もともと涙もろく、場の空気感で流してしまった部分もあった」と振り返っています。
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小林 そうした形で冷静に振り返ってくれているのは、私としても少し救われる思いがあります。今にして思えば2010年のオフの時点で、FAをまたぐ複数年契約を提示していればよかったのかもしれません。結果として杉内選手は巨人に移籍しましたが、その際にエースナンバーである「背番号18」を提示されたと聞いています。それが大きな後押しになったのでしょう。
引き留めることができなかった責任は重く、孫(正義)オーナーからは「お金のことは気にしなくていいと言ったじゃないか!」と、当時も厳しいご指摘をいただきました。球団にはファンからも多くの批判が寄せられました。その時期は私自身もかなり精神的にきつく、実際に心療内科の世話にもなりました。ただ、それも含めて、すべて編成責任者であった私の責任だと思っています。
寺原復帰の「人的補償」でも波乱が…
――ファン心理として生え抜きのスター選手の流出は悲劇ですからね。しかし、小林さんが説明されるように、そこにこだわっていては強いチーム作りはできないわけで。
小林 そうですね。一例として2012年にオリックスからFAした寺原(隼人)投手がソフトバンクに復帰した際にも、やはり大きな波紋が広がりました。特に話題になったのは、人的補償としてオリックスが、当時ソフトバンクで長年、守護神を務めていた馬原(孝浩)投手を獲得したことでした。
馬原投手は、右肩の手術からのリハビリ中で、2012年シーズンは1試合も登板がありませんでした。そのため、28人のプロテクト枠に入れることができなかったのですが、もうひとつの理由として、年俸が高額だったため「オリックスが獲得には動かないだろう」と判断していたこともありました。

