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杉内俊哉へ「必要としてくれる球団はない」発言は本当にあった?…ソフトバンク元フロントが振り返る“ホークス→巨人”衝撃の移籍の舞台ウラ 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2025/06/11 11:05

杉内俊哉へ「必要としてくれる球団はない」発言は本当にあった?…ソフトバンク元フロントが振り返る“ホークス→巨人”衝撃の移籍の舞台ウラ<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2011年にFAでソフトバンクから巨人へ移籍した杉内俊哉。杉内の涙の会見もあり、ファンの批判の矛先は当時のフロント陣に向かうことになった

「公表」よりも高かった馬原の年俸

――当時、馬原選手の年俸は1億8000万円と報じられていました。

小林 報じられている年俸はあくまで「推定」。実際にはそれよりも高かったのです。日本では、メジャーリーグのように年俸がガラス張りで公開されているわけではなく「謙譲の美学」とでも言うべき文化の中で、報道される金額が実際よりも低めに出る傾向があります。馬原投手の年俸についてもそのような例のひとつでした。

 いずれにせよ、当時はまだリハビリの途上で「他球団が獲得に動く可能性は低いのではないか」という読みがありました。しかし、その見通しは甘く、結果として人的補償での獲得につながりました。それにより、ファンやメディアからは非常に厳しいご批判を受けることになりました。

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――確かにメディア等ではフロントに対する厳しい声も目につきましたね。

小林 当時いただいた声の中には「実績もない人間が何をしているのか」「まるでゲーム感覚で選手を扱っている」「人を人とも思っていないのではないか」といった意見もありました。本当に多くの声が届いたことを、今でもはっきり覚えています。辛かったですが、フロントの責任者として、そうした声を受け止めるのも役割の一つだと思っています。

 杉内選手の件である程度の“免疫”ができていたつもりでしたが、このときもまた精神的には大きく落ち込みました。ただ、プロ野球というのはBtoC、すなわち球団が直接ファンという消費者と向き合う興行ビジネスです。だからこそどれほど厳しい声であっても、真摯に受け止めるべきだと考えています。

――そのようなご苦労がありながらも、11年に導入した三軍制は大きな成果でした。千賀滉大選手や甲斐拓也選手、牧原大成選手、石川柊太選手、周東佑京選手ら主力を輩出し、「育成のソフトバンク」を印象付けました。

小林 そう言っていただけるのは本当にありがたいことです。ただ、2011年に三軍を立ち上げた当初は、まず選手数を揃えることが最大の課題でした。甲斐選手や千賀選手には申し訳ないのですが、実際には“数合わせ”の側面も否めませんでした。特にキャッチャーは代えの利かないポジションであり、一軍・二軍・三軍それぞれに最低3人ずつは必要になります。当時はブルペンキャッチャーにも試合に出てもらうほど、現場はやりくりに苦労していました。

 ただ、三軍制の導入には明確な狙いもありました。二軍は基本的に一軍の調整の場でもあるため、若手選手に十分な実戦機会を与えるのが難しい。だからこそ、三軍が必要だったのです。野球選手の将来を見極めるのは非常に難しく、投手であれ打者であれ、実戦でのプレーを通じてしか成長の可能性を測れません。

【次ページ】 ソフトバンクの「代名詞」三軍制の意義

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