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阪神から日本ハムで激変「新庄再生工場」で覚醒した160キロ剛腕・齋藤友貴哉になにが起こったのか? 人生が大きく転回した新庄剛志監督の言葉
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/21 11:00
阪神から日本ハムに移籍し新庄剛志監督のもとで覚醒した160キロの剛腕・齋藤友貴哉。一体なにが変わったのか?
「開幕投手金村、4番野村、ときて、もしかしたら自分の名前を呼ばれるかもという期待はしていて、すごくビックリはしたんですけど、呼ばれたことはすごく光栄でした。抑えというのは中継ぎピッチャーにとっての頂点で、中継ぎを代表する場所ですし、誰もが憧れている場所ですから」
24年の齋藤は自己最多の25試合に登板し、防御率1.71の好成績を残した。クライマックスシリーズでの登板を含めれば、15試合連続無失点でシーズンを終えていた。
だが、伸び盛りだとはいえ、まだ確固たる地位を築いたわけではなく、監督直々の指名は多分に期待の色が濃いものだった。
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かつて、新庄が1990年代にプレーした阪神タイガース時代の恩師である野村克也監督は言った。
《地位が人をつくる》
そして「野村再生工場」の異名をとり、他球団でくすぶっていた中堅選手や峠を越えたとみられていたベテラン、戦力外になった選手を適材適所の妙で蘇らせていた。
新庄の「守護神齋藤」プランは師匠が何度もみせてきた魔法とダブる。
それにしても、齋藤が22年まで在籍したタイガース時代には想像できない光景である。
山形中央高、桐蔭横浜大、ホンダを経て、19年にドラフト4位でタイガースに入団した齋藤は184cm、90kgと肉体に恵まれ、最速153kmの球威を売りにしていた。すでに結婚して子どももいたが、ルーキー当初は単身で寮生活するなど、プロでの覚悟を示していた。だが、マウンドに上がれば制球を乱して崩れてしまう。即戦力の触れこみなのに、お決まりのパターンで自滅し、もどかしさが募る一方だった。
悪夢の逆転負け
そんな悪循環を象徴したのが22年の開幕戦である。
3月25日、タイガースは8−1のリードから東京ヤクルトスワローズに逆転負けを喫した。その発端が7点差の8回から登板し、四球から被弾するなど3点を失った齋藤だった。矢野燿大監督が2月のキャンプイン前日に退任を表明したことでチームが浮足立っていたとはいえ、開幕から9連敗し、後々の戦いに尾を引く悪夢を演じてしまった。
齋藤にとっては不安に押しつぶされそうな毎日だった。

