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阪神から日本ハムで激変「新庄再生工場」で覚醒した160キロ剛腕・齋藤友貴哉になにが起こったのか? 人生が大きく転回した新庄剛志監督の言葉
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/21 11:00
阪神から日本ハムに移籍し新庄剛志監督のもとで覚醒した160キロの剛腕・齋藤友貴哉。一体なにが変わったのか?
マウンドに上がると、目の前の打者よりも自分自身と戦っていた。
ストライクが入るだろうか……。ボールが先行するだけで焦りが生じた。
「二軍から一軍に呼ばれても『あ、ヤバ。一軍だ』って思ったりしていましたから」
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気負って空回りし、次第に首脳陣の評価が下がっていく。
二軍では好投しても一軍で抑えられないヤツーー。自分はそんなレッテルを貼られているのだと齋藤自身が思いこみ、やがて自分のことを縛りつけてしまうようになっていた。
「不安しかありませんでした。どんどんそわそわしていって……」
弱気な者が淘汰される世界では繊細すぎた。
そして22年10月、齋藤はタイガースから放出された。
齋藤になにが起こったのか?
江越大賀とともに渡邉諒、髙濱祐仁との交換トレードでファイターズに移籍した。
23年は2月、沖縄キャンプ初日の紅白戦で右膝の重傷を負ったことでシーズンを棒に振る躓きがあったものの、24年に大きく飛躍した。劇的な変貌はタイガース時代のシーズン防御率と比較するだけでも、一目瞭然である。
20年 5試合登板 7.71
21年 19試合登板 4.63
22年 20試合登板 5.01
24年 25試合登板 1.71
実質上の移籍1年目だった24年は荒れ球が減り、本来の剛速球を生かせるようになっていた。ストライクゾーンに投げるだけで打ち損じのファウルを誘い、カウントを優位に整えられるようになった。また、四球から自滅することもなくなっていった。
齋藤になにが起こったのだろう。チームが替わるだけでこうも変われるものなのか。
「正直、技術的にはタイガース時代とあまり変わっていないと思います。球速は多少、速くなりましたが、変化球もあまり変わっていないんです」
人生が大きく転回…背後には新庄の存在が
だったら、なぜ……。ひとつ言えることは、齋藤はファイターズに移籍したことで、人生が大きく転回していったということである。
そして、その背後には新庄の存在があった。
ファイターズに加入した齋藤は22年10月、江越とともに宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎で入団会見に臨んだ。ここで思いもしない新庄の言葉に出合った。

