将棋PRESSBACK NUMBER

藤井聡太は21歳で永世資格を獲得したが「大山康晴戦から12日後…山田道美、36歳の死」「羽生善治“七冠”が崩れた日」棋聖戦の死闘史 

text by

田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2025/05/31 11:01

藤井聡太は21歳で永世資格を獲得したが「大山康晴戦から12日後…山田道美、36歳の死」「羽生善治“七冠”が崩れた日」棋聖戦の死闘史<Number Web> photograph by JIJI PRESS

「大山さんの強さはよく知っていますが、決して勝てない相手ではないと思っています。ほかの棋士と違って、私は大山さんに対して恐怖心を少しも持っていません」

 力強く語った山田は、棋聖戦で大山に2連勝した。

 対局室に冷房設備がなかったので、盤側に氷柱を立てて涼をとった。山田は勝てば念願のタイトル初獲得が成る。それを意識して硬くなったのか、大山に一方的に敗れた。そして第4局では、山田は大山の中飛車に新工夫を試みて有利となり、終盤の寄せ合いを制して勝った。

ADVERTISEMENT

 山田は棋聖獲得と大山打倒を果たしたが、こう心境を語っている。

「振り飛車はこれで駄目になるほど単純なものではありません。今後も研究に打ち込みます。今の心境は《たどりきて未だ山麓》です」

大山、山田と中原の棋聖戦での接点

 半年後の67年11月、第11期準決勝では大山名人と中原誠五段(20)が対戦した。中原は「将棋界の太陽」と呼ばれ、各棋戦で活躍していた。大山は中原との初対局で、中盤で見落としがあって敗れた。その結果、10年以上にわたってタイトル戦に50回連続で出場していた驚異的な記録がついに止まった。中原は決勝も勝ち、タイトル戦に初挑戦した。

 山田は大山との対局では敵愾心をむき出しに戦った。しかし、奨励会時代から実戦で教えていた14歳年下の中原は「弟」のような存在で、闘志が湧かなかった。一方の中原は「兄」のような存在の山田に、負けてもともとの気楽さがあった。そうした心理面の違いが影響したのか、山田は中原に2連敗した。

 しかし山田は「もう、どうにでもなれ」と開き直った結果――第3局に続いて第4局も勝つと、第5局も制して棋聖位の防衛を辛くも果たした。

「追われる立場は辛いですね。それを十数年も続けている大山さんは、つくづく偉い人だと思いました」

 山田は勝利の弁を神妙に語った。なお、第12期棋聖戦で再挑戦した中原六段は、山田棋聖を破って初タイトルの棋聖を獲得した。

36歳で死去した山田、米長の初戴冠は?

〈第16期:70年度前期〉
 挑戦者決定戦で、大山名人と山田八段が対戦した。

 両者は盤上盤外で衝突した時期もあったが、時が経つにつれてお互いの生き方や考え方を理解し合っていた。夕食休憩では、将棋連盟の運営の在り方などについて話し合ったという。その対局は大山が勝ったが、山田の「絶局(棋士にとって生前最後の対局)」となってしまった。

 山田が大山戦から12日後の70年6月18日、突発的な病気によって36歳で急逝したからだ。

〈第22期:73年度前期〉
 米長邦雄八段(30)が、初タイトルの棋聖を獲得した。

【次ページ】 羽生の七冠独占が崩れた日

BACK 1 2 3 4 NEXT
#藤井聡太
#杉本和陽
#羽生善治
#渡辺明
#豊島将之
#大山康晴
#升田幸三
#山田道美

ゲームの前後の記事

ページトップ