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「ボクは1年目から結果を残さないと…」甲子園最速158キロでプロ入り、寺原隼人が抱えた重圧の正体…記者が見た「松坂を超えた怪物」のおとなしい素顔 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/06/02 11:01

「ボクは1年目から結果を残さないと…」甲子園最速158キロでプロ入り、寺原隼人が抱えた重圧の正体…記者が見た「松坂を超えた怪物」のおとなしい素顔<Number Web> photograph by JIJI PRESS

寺原隼人は4球団競合の末、ダイエーから1巡目で指名された

「ランニングにも職員がバイクで並走」現場は大騒ぎに…

 ルーキーイヤーだった2002年。当時のダイエーは四国の高知市で春季キャンプを行っていた。現在のチームは宮崎でキャンプを行っており一日に数万人が来場するのも珍しくないが、当時は本拠地福岡から遠かったこともあり数百人が訪れる程度だった。それが2月3日の第1クール最終日は日曜日と重なったこともあり5000人ものファンが駆け付けた。

 あの頃は休前日の練習の締めくくりといえば、球場から宿舎までの7キロ走が恒例だった。ただ、寺原の周りにはすぐに人だかりができる。球場の敷地から出るのも一苦労だ。球団関係者や警備員ら6人が厳重警備をする中でやっとスタートし、40分間の道中も球団広報がミニバイクで伴走して不測の事態に備えるほどの注目度とフィーバーぶりだった。

「結構騒ぎになりましたよね。毎日たくさんの人に囲まれて大変といえば大変でしたけど、誰もが経験できないことをさせてもらったのかなと思います。球団の方もそうでしたが、先輩たちにもよくしてもらいました。みんな優しかったですよ。それよりも、やっぱり野球の方が大変でした。今は球団が選手1人1人に練習メニューを組んで、体調管理なども行ってくれますけど、僕が入った頃はそんなものはありません。ブルペンの投球数も自分で決めたり、投げずに休ませる日も考えないといけなかったり。

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 よく『最初のキャンプでプロの凄みを感じた瞬間は?』とか『スピードは負けないと思った? それとも圧倒された先輩はいた?』とか質問されますが、僕、答えられないんです。自信があったわけじゃなくて、自分のことで精一杯すぎて周りを見る余裕が1ミリもなかっただけなんです」

【次ページ】 冷めないフィーバー…寺原が迎えた、プロ初登板の日

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