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「ボクは1年目から結果を残さないと…」甲子園最速158キロでプロ入り、寺原隼人が抱えた重圧の正体…記者が見た「松坂を超えた怪物」のおとなしい素顔
posted2025/06/02 11:01

寺原隼人は4球団競合の末、ダイエーから1巡目で指名された
text by

田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
JIJI PRESS
甲子園で投げた一球が、ひとりの球児の運命を変えた。球史に残る「158キロ」の真実を、41歳になった寺原隼人本人が“24年越し”に明かす――。《NumberWeb「スーパールーキー特集」全3回の第2回/最終回に続く》
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松坂大輔が「平成の怪物」ならば、寺原隼人は「21世紀の怪物」と謳われた。
2001年、夏の全国高校野球選手権大会で松坂の151キロという“甲子園記録”をはるかにしのぐ「158キロ」の剛速球で世間を驚かせた右腕がいよいよプロの道へ。同年秋に行われた21世紀最初のドラフト会議では4球団が1位指名で競合し、交渉権を引き当てたのが地元九州の球団であるダイエー(現ソフトバンク)だった。
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3学年上の松坂は、西武入団後もまさに怪物級の活躍を見せていた。高卒1年目だった1999年からこの2001年まで16勝、14勝、15勝で3年連続パ・リーグ最多勝を獲得。2、3年目には奪三振王にも輝いた。
松坂を超えた男――寺原ならば、一体どんな衝撃をプロ野球界に残すのか。
今振り返ると、その当時のマスコミ報道の過熱ぶりが凄かった。高校時代から何かにつけて松坂と比べられていたが、ドラフト指名後は「プロ野球選手・松坂大輔」が比較対象になる。
会見での「松坂に関する質問」に寺原は…
11月26日、ダイエー入団を正式表明する記者会見でさっそく取材攻勢にあった。プロ野球の番記者は高校野球の記者よりもグイグイ懐に飛び込んでくる。
松坂に関する質問が飛んだ時、寺原はこんなコメントを残したようだ。