- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「誰にも言わないでね」新庄剛志監督が耳元で開幕スタメン通達…日本ハム“恐怖の9番”水野達稀を震わせたボスの賛辞「水野君 有難う 感動した」
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/05/20 17:00
日本ハム・水野達稀を祝福する新庄剛志監督
BIGBOSSと名乗ってファイターズの指揮を執った新庄は22年、「1年目はトライアウトのシーズン」と話したように、選手個々の力量を見極めるため、故障選手を除く支配下登録選手全員を一軍で起用した。ルーキーだった水野も21試合に出場。だが、飛躍を期すはずの23年は31試合の出場にとどまっていた。打率も.161と実力を発揮できず、水野が自らの立ち位置を思い知らされたのは秋のことである。
チームはこの年、本拠地を札幌ドームからエスコンフィールドに移転していた。
だが、守備陣は内野の天然芝への対応に苦慮し、シーズンのチーム失策数は12球団ワーストの94個だった。弱点を克服するため、オフの秋季キャンプを従来の沖縄ではなく、エスコンフィールドで行ったのである。だが、そこには水野の姿はなかった。
ADVERTISEMENT
彼は二軍拠点の沖縄県国頭村で白球を追っていた。
「その年はみんな、守備に苦労したからエスコンで守備を中心にキャンプをしようとなっていてほとんどの内野手が呼ばれていました。でも、僕はそこにも呼ばれませんでした」
22年の12月に結婚していた夫人は新しい命を宿していた。
社会人出身の水野は即戦力とみられており、与えられた時間は多くはない。
疎外感と焦燥感が入り混じるなか、腹をくくった。
「覚悟したといいますか、いままでで一番人生を懸けましたし、『今年やらないと終わり』ぐらいの気持ちでやっていました」
指揮官のささやき「開幕スタメンでいくから」
24年2月の春季キャンプも二軍スタートだったが、もう驚きもしなかった。
過去2年は一軍の球威に苦戦して打率1割台だった。飛ばすことよりも的確にボールをとらえるため、バットを少し寝かせて構える打ち方に変えた。
野球人が力を蓄えるのはスポットライトが当たらないときである。水野は国頭村で黙々とバットを振りつづけた。
2月中旬。紅白戦で中堅フェンス直撃の二塁打を放ち、守備でも機敏な動きを見せると新庄の目に留まり、一軍に昇格した。
3月3日の阪神タイガース戦では2安打2打点とハッスルした。ショートを争うライバルの上川畑大悟が故障で戦列を離れると、ポジション争いで水野が頭ひとつ抜け出す格好になった。
曇り空で寒さが残る3月8日。横浜スタジアムで、横浜DeNAベイスターズとのオープン戦を控えた試合前、水野が守備練習に取り組んでいると、新庄が近づいてきた。
指揮官は耳元でささやいた。
「もう開幕スタメンでいくと決めたから。マンチュー(万波中正)と水野は決めてるから」
そして、こう言い添えた。
「だれにも言わないでね」
<続く>
