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「日本ハムってどこにある球団?」社会人内定していた西崎幸広“まさかのドラフト1位”が「できて5勝」の評価から阿波野秀幸と新人王争いできたわけ
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/04/30 11:02
社会人野球チームに内定して会社の席まで決まっていたという西崎幸広。プロで再会した阿波野秀幸と新人王争いを繰り広げることに
プロはまったく考えていなかった
西崎はすぐにチームの中で頭角を現し、4年間で通算37勝を挙げる。
「でも、プロ野球に行くことはまったく考えていませんでした。3年の秋に明治神宮大会で準優勝してからスカウトが何人か来るようになり、4年の春の全日本選手権に出て、夏に日本代表に選ばれてから人数が増えましたね」
愛知大学リーグで快投を見せても、プロのスカウトの評価は定まっていなかった。しかし、全国大会で強豪校をなぎ倒したことで、彼らは西崎のピッチングに一目置くようになった。
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「それまでは地方リーグでいくら勝ってもね……と言われていましたから。実際に、東京や関西の大学とはレベル差があったと思います。
4年生になる時、オレには3つの目標があったんですよ。日米野球のメンバーに選ばれること、そのあとにカナダで開催される4カ国対抗と世界大会に出ること」
阿波野が遊びに来てくれた
東京六大学や東都大学リーグで活躍する有名選手と一緒に、西崎はジャパンのユニフォームを着続けた。当然、その秋のドラフト候補として注目されることになった。
彼の評価を上げたのが1986年秋に行われた明治神宮大会だ。初戦で八幡大学を下した愛知工業大学は札幌大学に圧勝して決勝に進出。東都の覇者・駒澤大学を2対0で破り初優勝を飾った。西崎は3試合で23イニングを投げて5本のヒットしか許さなかった。失点はわずか1。
「阿波野が試合前のロッカールームに遊びに来てくれたことを覚えています。オレの小中学校の同級生が亜細亜大学でマネージャーをしていたので。『気を遣わなくていいから、中に入ってよ』と言いましたね」

