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親方が激怒「関取衆、何やってんだ!」朝青龍20歳“伝説の出稽古”、角界に衝撃が走った“モンゴルの異端児”来襲「10人15人と連続でなぎ倒し…」 

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藤井康生

藤井康生Yasuo Fujii

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posted2025/05/22 11:04

親方が激怒「関取衆、何やってんだ!」朝青龍20歳“伝説の出稽古”、角界に衝撃が走った“モンゴルの異端児”来襲「10人15人と連続でなぎ倒し…」<Number Web> photograph by KYODO

当時18歳の朝青竜明徳

 入門から2年目に入ると朝青龍は出稽古を重ねます。

 余談ですが、「出稽古」という言葉は本来、「芸事で師匠が出向いて教えること」という意味です。相撲や剣道、柔道などの武道では「競技者が他の稽古場に出向いて鍛錬すること」を指します。朝青龍は当時幕下の番付ながら積極的に他の部屋に乗り込んで、関取衆にも胸を借りることがありました。

 ある時、いくつかの部屋の力士が集まった稽古場に朝青龍が姿を見せました。もう朝青龍の名前は、相撲関係者の間では超有望力士として知れ渡っていました。この日、朝青龍は幕下力士同士の申し合い(勝ったほうが土俵に残り次の稽古相手を指名する勝ち抜きの稽古)で10人、15人と連続でなぎ倒します。時間もかなり経ったところで、白まわしを締めた関取が塩を撒いて土俵に入ると、そこからは関取衆の稽古が始まるという合図です。つまり、特別に親方の指示などがなければ、幕下以下の力士は土俵の外に出なければなりません。ただし、幕下の稽古で最後に勝った力士は土俵に残ります。

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 この時、朝青龍が幕下の稽古で最後に残り、そこに十両の力士が入りました。幕下力士がそこで負ければ、もう出番はなくなり関取同士の稽古が始まります。ところが、そこから7番、8番と、朝青龍が関取に勝ち続けます。強いのはもちろんですが、そのスタミナにも驚きます。

「土佐ノ海、行け」「魁皇、行け」

 見かねた親方が「関取衆、何やってんだ!」と檄を飛ばします。10番ほど取ったところで、さすがに朝青龍もひとつ負けました。それでも「もう一丁、もう一丁」と朝青龍は、土俵に入ろうとします。

 親方が「もういい、お前は下がれ」と言っても納得しません。しかも、指名してもらうために一番ごとに声を出し、手を挙げて出ていきますが、関取衆からはなかなか指名されず悔しそうな表情を浮かべます。10番ほどおいて見かねた関取(誰だったか記憶にないのですが……)が朝青龍を指名します。

 ようやく朝青龍が土俵に入ると、また3人4人と関取に勝ってしまいます。十両の力士では朝青龍に対抗できず、ついに親方が「土佐ノ海、行け」「魁皇、行け」と指示をして、当時三役力士だった二人が、朝青龍を止めるために土俵に入るという、そんな稽古場を見たことがあります。

【次ページ】 「今日の稽古、どうだったですか?」

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