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「親父、僕は力士になれない…」15歳白鵬少年が覚悟したモンゴル帰国「“さよなら会”の食事中に電話が」元NHKアナが知る“奇跡の入門”秘話

posted2025/05/22 11:05

 
「親父、僕は力士になれない…」15歳白鵬少年が覚悟したモンゴル帰国「“さよなら会”の食事中に電話が」元NHKアナが知る“奇跡の入門”秘話<Number Web> photograph by KYODO

白鵬の新十両昇進を祝う両親(2003年12月)

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藤井康生

藤井康生Yasuo Fujii

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KYODO

40年にわたって大相撲中継の実況を担当してきた元NHK・藤井康生アナウンサー。そんな名物アナが知る大相撲の歴史を、著書『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』(東京ニュース通信社、2025年3月発行/発売元:講談社)から全5回に分けて抜粋掲載します。第4回は藤井アナの目に映った、若き日の白鵬のエピソードです【全5回/第3回第5回も公開中】

 朝青龍が新十両に昇進した平成12(2000)年九月場所、初日直前に左肩を痛めながらも9勝6敗と勝ち越し、潜在能力の高さを見せました。その場所が終わった10月25日のことでした。

 季節も変わり、数日後には十一月場所の新番付が発表されようという頃です。7人の若者たちがモンゴルから日本にやって来ました。大阪の実業団チームの摂津倉庫で日本の相撲を経験するためでした。2カ月間泊まり込みで稽古をする間に、大相撲の部屋から声がかかれば入門ができるという、彼らにとっては日本の大相撲界への「就職」もかかっていました。

 その7人の中に、のちの69代横綱白鵬(現、宮城野親方)がいました。

どの部屋からもスカウトがなかった

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「運動能力は、他の子より多少あったかなと思います。高校受験の最終日にインフルエンザにかかりテストは受けられませんでしたが入学させてもらいました。モンゴルの学校は9月1日に始まります。高校に少し行っただけで日本に来ました」とは本人の弁。白鵬はモンゴルの高校よりも日本の大相撲を目指すことになりました。しかし、どの部屋からもスカウトの声はかかりません。ともにモンゴルから来た中の3人、後の猛虎浪(もうこなみ)千昇(せんしょう)太牙(たいが)は入門が決まりました。

 やがて2カ月が過ぎ、明日はモンゴルに帰るという日が来ました。白鵬自身は「自分の運命が一番変わった日でした」とその時のことを述懐します。

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