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親方が激怒「関取衆、何やってんだ!」朝青龍20歳“伝説の出稽古”、角界に衝撃が走った“モンゴルの異端児”来襲「10人15人と連続でなぎ倒し…」

posted2025/05/22 11:04

 
親方が激怒「関取衆、何やってんだ!」朝青龍20歳“伝説の出稽古”、角界に衝撃が走った“モンゴルの異端児”来襲「10人15人と連続でなぎ倒し…」<Number Web> photograph by KYODO

当時18歳の朝青竜明徳

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藤井康生

藤井康生Yasuo Fujii

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KYODO

40年にわたって大相撲中継の実況を担当してきた元NHK・藤井康生アナウンサー。そんな名物アナが知る大相撲の歴史を、著書『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』(東京ニュース通信社、2025年3月発行/発売元:講談社)から全5回に分けて抜粋掲載します。第3回は藤井アナが語る、若き日の朝青龍のエピソードです【全5回/第4回白鵬編も公開中】
『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』(著・藤井康生/東京ニュース通信社)。名勝負から中継の舞台裏まで昭和・平成・令和の大相撲の歴史を詰め込んたファン必読の一冊『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』(著・藤井康生/東京ニュース通信社)。名勝負から中継の舞台裏まで昭和・平成・令和の大相撲の歴史を詰め込んたファン必読の一冊

 高見山の来日、そしてその後の活躍により大相撲が転機を迎えました。昭和40年代から「外国人力士」という言葉が生まれ、小錦、曙、武蔵丸へとつながり、平成の時代に入るとハワイ勢ではなくモンゴルからの「ちからびと」が押し寄せます。

 のちの三役力士、旭天鵬や旭鷲山が平成4(1992)年に初土俵を踏み、その後の活躍を母国で観ていた朝青龍や白鵬が、日本の大相撲に夢を抱いてやって来ます。彼らの努力が、大相撲の頂点を極め、さらに次の世代を呼び寄せています。

北の富士が絶賛した朝青龍の素質

 68代横綱朝青龍。モンゴルのウランバートルに生まれ、モンゴル相撲で活躍していました。平成9(1997)年に高知県の明徳義塾高校に相撲留学、全国高校相撲選手権ベスト4をはじめ、日本の相撲にも短期間で順応しました。その素質を見た当時の若松親方(元大関朝潮、後の高砂親方)に誘われ、平成11(1999)年一月場所で初土俵を踏みます。

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 1m82cm、106kg。体ではさほど目立たない18歳の若者でした。ところが、その年の五月場所は序二段優勝、七月場所は三段目優勝と一気に番付を駆け上がります。普段、幕下以下の若い力士には論評を加えない北の富士さんが、「この子はいいねー、この足腰と運動神経、すぐに(番付が)上がって来るよ」とべた褒めしていたのを思い出します。

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