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「プロレス史上最大の謎」42年前のアントニオ猪木“舌出し失神事件”の真相を追う…実弟が語った衝撃の真実「病院着のままの兄貴と美津子さんを…」
text by

欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byMoritsuna Kimura
posted2025/03/19 11:05

今から42年前の第1回IWGP決勝戦でのハルク・ホーガンとアントニオ猪木。この試合でホーガンの攻撃を受けた猪木は失神し、救急搬送されることに
「検査室から病室に移動する際、付き添っていた私に対し、兄貴が小さな声で“家に帰る”と言ったのです。私は驚いてもう一度真意を確認しましたが、やはり“帰りたい”と言う。絶対安静が必要な状況で家に帰るのは無理だろうと思いましたが、一応、ドクターに聞いてみることにしたのです」
啓介氏は児玉ドクターにこう切り出した。
「先生、アントニオが今日は家に帰りたいと言っています。可能でしょうか」
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すると意外にも、児玉ドクターはOKを出した。
「いいでしょう。ただ自宅では安静にしてください。検査では大きな異常がありませんでしたが、絶対に無理をしないように。何かあればすぐに連絡をください」
極秘に行われた猪木の「病院脱出」
ここから啓介氏はアントニオ猪木、美津子夫人の「極秘脱出」を模索する。
「他の営業部員が病院の駐車場に残しておいてくれた新日本プロレスの営業車を病院の裏口に横付けしました。現場には、首からカメラを下げた記者がまだ数人残っていましたが、彼らが帰るのを待つわけにもいかなかった。病院着のままの兄貴と美津子さんをワゴン車の後部座席に押し込み、代官山の自宅マンションに向かったのです」
深夜2時、病院を抜け出した猪木。だが、啓介氏の運転する営業用ワゴンを追跡する1台のクルマがあった。
「報道関係者のクルマだったと思います。兄貴も、私が何度もバックミラーを気にしていたので、後をつけられていることに気づいていました。ブラジルで育った私は、悪名高い現地の暴走タクシーと長年張り合ってきましたから、運転には少々自信があった。信号の変わり目でクルマを急発進させ、追っ手を簡単に振り切ったことを覚えています」
衝撃のKO劇から5時間後。「絶対安静」のはずのアントニオ猪木は、密かに自宅に戻っていた。
一夜明けた3日朝。通常はプロレスを扱うことのない全国紙の社会面にも「救急車騒ぎ」の記事が小さく掲載されていた。しかし、すでに退院しているはずの猪木をめぐり、ここから「奇妙な報道」が展開されることになる。
<次回へつづく>
